酒井 忠宝(さかい ただみち)は、江戸末期の大名、明治から大正期の日本の華族。位階は従三位。幼名は徳之助。 第9代出羽庄内藩主酒井忠発の六男で、兄忠篤の蟄居後に酒井佐衛門尉家第18代当主となり、岩代若松(旧会津)、磐城平への転封を経て、庄内藩知事(のち大泉藩と改称)を務めた。正室は遠藤胤城の娘。 戊辰戦争で兄・酒井忠篤が新政府軍に降伏し、永蟄居に処された後、御家再興を許されて明治元年12月(1869年1月)に忠宝が家督を継ぎ岩代若松(のち若松県)へ、さらに版籍奉還直前の明治2年6月(1869年7月)に陸奥磐城平への移封を命じられたが、70万両の献納を条件に同年7月22日に庄内藩知事への復帰が認められた。
出典:ウィキペディア「酒井忠宝 (庄内藩主)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
