松旭斎 天洋(しょうきょくさい てんよう、1888年〈明治21年〉9月21日 - 1980年〈昭和55年〉9月30日)は日本の奇術師。敦賀市生まれ。本名は山田(旧姓:島田)松太郎。初代・第3代日本奇術協会会長。 日本における奇術の発展と普及に貢献した業績により、日本奇術界の「中興の祖」とも呼ばれた。 母親は奇術師の松旭斎天一の姉であった。子供の頃は大阪で丁稚奉公をしていた。 1905年(明治38年)に17歳で松旭斎天一に弟子入り、して松旭斎天松という芸名をもらった。兄弟弟子には松旭斎天勝や松旭斎天二らがいた。「天一一座」では天一の手伝いをやりながら、奇術の腕を磨いた。 師匠の天一が死去してからは松旭斎天洋と改名し、1912年(大正元年)に「天洋一座」を旗揚げして座長として独立し活躍した。
出典:ウィキペディア「松旭斎天洋」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
