石川 鴻斎(いしかわ こうさい、1833年 - 1918年9月13日)は、日本の詩文家、漢学者、画家。 本名は英。字は君華。通称は英助。芝山外史、雲泥居士などの号をもつ。 1833年5月20日(天保4年4月1日)、三河国吉田(豊橋)花園町の紙商大野屋石川平五郎の長男として生まれる。数学を彦坂菊作、漢学を西岡翠園、太田晴軒、曽我耐軒らに学んだ。 神奈川県傭史になったが、1877年(明治10年)東京に転居。同じ三河出身の和泉屋市兵衛が経営する書店に勤め、編集に携わる。また、1887年(明治20年)芝増上寺の浄土宗学校の開校に際し、漢学の教師に就任。 同年、清国の全権公使、副使、随員らが宿所として増上寺に滞在した際に、筆談をもって会談に加わり、後に贈答した詩中文より十数編を選んで1878年、東京文昇堂より詩文集『芝山一笑』を刊行。
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