小川 虎一(おがわ とらいち、1850年(嘉永3年9月) - 1916年(大正5年)5月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥前国彼杵郡長浦村(のち長崎県西彼杵郡長浦村、琴浦村、琴浦町を経て現長崎市)生まれ。大村藩校五教館で学ぶ。長浦村戸長、同村長、長崎県会議員となる。 1894年(明治27)12月、家永芳彦の辞職による第4回衆議院議員総選挙補欠選挙で長崎1区から立候補して初当選した。続く1898年(明治31年)3月の第5回総選挙では立憲自由党公認で立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、同年8月の第6回総選挙は不出馬。1916年に死去した。
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