川村 矯一郎(かわむら きょういちろう、嘉永5年(1852年) - 明治24年(1890年)1月)は、明治時代の篤志家、自由民権運動家。静岡監獄副典獄(副刑務所長)。政治犯として入獄していた際に金原明善と出会い、後に明善とともに出所者の保護事業に参画し、近代日本における更生保護の発展に寄与した人物として知られる。 1852年(嘉永5年)、中津藩の下級武士の子として生まれる。国学者・水戸学者である渡辺重石丸が主催する私塾・道生館にて、後に国学者となる増田宋太郎らとともに学び、尊王攘夷思想を持つようになる。増田とは終生の盟友であり、明治維新後も自由民権運動に共に携わることとなる。 自由民権運動では増田とともに1874年(明治7年)に政治結社『共憂社』を創設し、1875年(明治8年)には大阪の愛国社会議にも出席していた。
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