悪 奨(わる すすむ、生没年不詳)は、明治初期の陸軍軍人。長門国大津郡田屋原村の士族の出身で、西南戦争に従軍したが、のちに軍紀違反により免官処分を受けた。 長門国大津郡田屋原村(現山口県長門市東深川下郷)の士族・悪政雄の長男として生まれる。明治期に陸軍へ入り、歩兵少尉試補として任官した。 明治10年(1877年)の西南戦争では、遊撃歩兵第七大隊のうち第四中隊に配属され、石丸雄介中尉の指揮下で士官心得として従軍した。 戦後も軍務に服していたが、明治12年(1879年)12月、歩兵第5連隊付を命じられたにもかかわらず任地に赴かず、数か月にわたり無断で東京に滞在した。この行為が問題視され、陸軍裁判所に拘引される。
出典:ウィキペディア「悪奨」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
