平村 ペンリウク(ひらむら ペンリウク、1833年 - 1903年(明治36年)11月28日)は、明治期のアイヌ指導者の一人。平取コタンのコタンコロクル(首長)。 1833年(天保4年)、平取コタンにシュロクの長男として生まれ、松浦武四郎『左留日誌』のなかにも名前が記されている。幼年の頃から勇敢で知られ、成長してからは同胞の苦難を救うためにしばしば北蝦夷地(樺太)に渡った。 1876年(明治9年)、イギリス人宣教師のウォルター・デニングはペンリウクの家に来てアイヌ語を学んだという。1878年(明治11年)、ハインリヒ・フォン・シーボルト次いでイギリス人の旅行者イザベラ・バードを迎え、バードはその滞在の思い出を紀行文に残した。
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