工藤 行幹(くどう ゆきもと、天保12年12月28日(1842年2月8日) – 明治37年(1904年)4月21日)は、日本の衆議院議員(自由党→立憲革新党→進歩党→憲政党→憲政本党)。 弘前藩士櫛引儀三郎(錯斎)の子として生まれ、幼名を峯次郎といった。19歳で同藩士工藤秀四郎の養子となり、姓名を改めた。戊辰戦争の際には、奥羽越列藩同盟のために奥羽諸藩を奔走したが、弘前藩が新政府軍に帰順すると、禁錮となった。しかしすぐに赦免され、参軍助役として秋田や水沢口で盛岡藩と戦い、盛岡に入城し、さらに箱館にも出陣した。 1869年(明治2年)、公議所書記に選ばれて上京。さらに民部省土木権少祐に任ぜられ、各地の河川の調査に赴き、土木権少祐、土木中属に昇進した。
出典:ウィキペディア「工藤行幹」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
