志保田 鉎吉(しほた しょうきち、1873年(明治6年)9月 - 1959年(昭和34年)2月1日[要出典])は、日本の教育者。 京都府天田郡福知山町(現在の福知山市)出身。清水道勝の三男として生まれ、志保田六兵衛の養子となった。1895年(明治28年)、京都尋常師範学校を卒業し、天田郡中部の高等小学校訓導を務めた。1900年(明治33年)、東京高等師範学校文科を卒業し、沖縄県師範学校教諭となった。1901年(明治34年)、台湾総督府国語学校教授に就任。その後、台南高等女学校校長、台南師範学校校長、台北師範学校校長、台北第一師範学校校長を歴任した。 後に帰国、1959年(昭和34年)2月1日に京都市で死去[要出典]。
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