新井 京太(あらい きょうた、1887年〈明治20年〉5月26日 - 1969年〈昭和44年〉5月19日)は、大正・昭和期の実業家・政治家。衆議院議員(3期)。位階は正五位。 群馬県多野郡保美濃山村(現・藤岡市保美濃山)出身。17歳のとき医学を志して上京、建築業に従事しながら苦学する。1920年(大正9年)協調会社会政策学院を卒業。土木建築請負業を営む。田島応用加工(株)顧問を務めた。 千住町会議員、足立区会議員、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員、同参事会員、同社会委員長、東京都議会議員、同参事会員を務めた。 第24回衆議院議員総選挙(1949年(昭和24年)1月執行)東京都第6区から選出された聴濤克巳の公職追放、中島守利の死去に伴い1952年(昭和27年)3月に実施された補欠選挙で初当選。
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