池谷 繁太郎(いけたに しげたろう、1853年(嘉永6年6月) - 1908年(明治41年)3月3日)は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。諱は茂時、号は岳雲。 池谷七郎平の長男として駿河国富士郡大宮東町(静岡県富士郡大宮町を経て現富士宮市)に生まれる。幕末、韮山の江川塾に入り漢籍、砲術を学んだ。1872年(明治5年)副戸長となり、学区取締、医務取締、地租改正調、第二大区長、町村連合会議長を経て、1876年(明治9年)静岡県民会議員となり、1880年(明治13年)静岡県会議員に当選した。国会開設請願運動の建白総代に名を連ね、1881年(明治14年)の静岡県改進党の結成に加わり、翌年結成された岳南自由党にも参加した。
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