松岡 方祗(まつおか ほうし/かたまさ、天保14年(1843年) – 明治42年(1909年)11月8日)は山口県(周防国)出身の大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大佐、叙位は正五位、勲六等。子に海軍少将・松岡修蔵。 周防国吉敷郡、のちの山口県吉敷郡大道村(現防府市)の出身で、元長州藩士。明治5年には成松明賢とともに少佐に任じられ正七位に叙された。翌6年には万年千秋らとともに従六位に叙し、肇敏員外乗組などの任にあたった。 明治17年5月8日、練習艦龍驤副長に補され、同年9月4日には第二丁卯艦長へ転じた。明治18年4月3日、三重県志摩国安乗崎灯台内湾で暗礁に乗り上げ第二丁卯は破損沈没したが、松岡ら八十余名は全員救助された。
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