射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - 1945年3月10日)は、愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は八木 成吉(やぎ しげきち)。 1906年2月10日に愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)で生まれる。地元の土地相撲で大関を務め、その経歴を買われて高砂部屋へ入門し、1924年5月場所において幕下付け出しで初土俵を踏んだが、その場所を負け越してしまい、翌場所は一気に序二段まで降格された。1932年1月に勃発した春秋園事件の影響で十両を飛び越えて新入幕を果たすが、1938年5月場所において二度目となる十両降格を味わい、1939年1月場所を最後に現役を引退、年寄・大山を襲名した後、岩友・西岩の順に変更した。
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