鳴門 義民(なると よしたみ)は、明治時代の英学者、農政官僚。阿波国美馬郡出身。江戸で大木忠益に蘭学、横浜で外国人に英語を学び、神奈川奉行所に勤務した。東京に英学塾を開いた後、農業行政に転じ、全国でメイガの駆除法を指導した。晩年芝区会議員。 天保4年(1833年)または天保6年(1835年)7月15日阿波国美馬郡重清村東原(現徳島県美馬市美馬町中東原)に佐々治藤太の次男として生まれた。幼名は次郎、後に次郎吉。 佐々家口伝によれば、厳格な継父の教育に耐えかねて家出を決意し、草鞋製作により800文を蓄え、12歳の時吉野川岸に着物と下駄を置いて投身自殺を偽装し、家出を決行した。徳島からは金刀比羅宮参詣者に変装して無賃で大坂に渡り、呉服屋・大工・武家に奉公して旅費を貯めた後、横浜に上り、中浜万次郎出入りの米屋に住み込みで働き、毎日単語カードを譲り受けて英語を学んだという。
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