有名人ナビ トップページ
人物データベース×観光資源
中

中川五郎治

なかがわ ごろうじ
Wiki ↗

中川 五郎治(なかがわ ごろうじ、明和5年(1768年) - 弘化5年9月27日(1848年10月23日))は、日本における種痘法の祖。本名・小針屋佐七、別名・中川良左衛門。陸奥国生まれで蝦夷地に渡り、択捉島の漁場の番人を務めていたが、文化露寇の際にロシア側の捕虜となりシベリアに送られ、そこで種痘法を身に付ける。ゴローニン事件の際に日本に送還され、後に松前奉行・松前藩に仕え、箱館・松前を中心に種痘法を広めた。 明和5年(1768年)、廻船問屋・小針屋佐助の子として陸奥国川内村(旧盛岡藩、現青森県むつ市川内町)に生まれる。松前に行き、商家に奉公し、やがて松前の豪商・栖原庄兵衛の世話で、享和元年(1801年)に場所稼方として択捉島に渡る。

出典:ウィキペディア「中川五郎治」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋

🎂 1768年生📍 青森県むつ市出身💼 日本における種痘法の祖
🌐 海外Wiki:ドイツ語 (de) ↗