結城 無二三(ゆうき むにぞう・弘化2年4月17日(1845年5月22日) - 明治45年(1912年)5月17日)は、明治時代のキリスト教メソジスト派伝道師。死後に息子結城禮一郎によって出版された書籍により、幕末期には京都見廻組及び新選組に所属していたとされるが、研究者からは疑問が持たれている。幼名は米太郎(よねたろう)、のち有無之助(うむのすけ)、さらに無二三(むにぞう)。名は影祐(かげすけ)といったが、知人からは「けいゆう」と呼ばれたという。 甲斐国の医師・古屋景仲の長男として生まれる。幼名の「有無之助」は「俺ほどの豪傑が世の中に有るか無いか」という意味で、「無二三」とは「俺ほどの豪傑は天下に二人も三人も居ない」という意味で名乗ったという。
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