浅野 延秋(あさの のぶあき、1901年(明治34年)11月10日 - 1969年)は、日本のバスケットボール選手・指導者。早稲田大学で最初の学生バスケットボールチームを組織し、大日本バスケットボール協会の設立に尽力した。 山梨県中巨摩郡落合村(現在の南アルプス市)出身。郷里の小学校を卒業後、成城中学に入学。成城中学はいち早くバスケットボールを受容していた中等学校の一つで、浅野はバスケットボール部の主将を務めた。 1920年、早稲田大学高等学院(早高)に入学。浅野は陸上競技部で同好者を集めてバスケットボールの練習を行い、アメリカ人英語教師スペンサーの指導を受けた。その後、早高にはほかにいくつかのバスケットボールチームが現れた(中山克己は建築科で、冨田毅郎は機械科でチームを結成した)。
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