米田 冨士雄(よねだ ふじお、1898年8月11日 – 1977年3月30日)は、日本の逓信官僚。 1898年、東京府東京市神田仲猿楽町で、弁護士・衆議院議員である米田実の長男として出生。 明治中学校(現・明治大学付属明治高等学校・中学校)、第五高等学校乙文科を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。高等文官試験に合格し、1924年に旧逓信省入省。1929年、陸軍大臣、教育総監などを務めた秋山好古の四女治子と結婚。国際連盟交通委員顧問としてのパリ駐在、国際航空委員会の帝国代表随員、ロンドン国際経済会議の全権随員などを務める。運輸省海運総局運航部長、海務官などを経て、日本船主協会理事長、日本海運振興会会長、海事産業研究所理事長などの要職を歴任。
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