スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
和田 瞳(わだ ひとみ、1995年2月18日 - )は、ファ… 和田 瞳(わだ ひとみ、1995年2月18日 - )は、ファッションモデル、女優、海賊をコンセプトとしたアイドルグループ『スマイル海賊団』の元メンバー。フィットに所属していたが同社の破産に伴い、株式会社アポイントに所属となる。東京都出身。 アイドル、レースクイーンを経て、女優として活動している。 2020年8月7日に初の主演映画『悲しき天使』が公開され、夏の連続ドラマ『彼が僕に恋した理由(ワケ)』にも出演し、TOKYO MXほかAmazonPrimeなどでも配信予定。 御朱印ガールでもあり、温泉ソムリエの資格も持っている。 2022年10月7日、フィット所属を発表。 2024年3月22日、所属した「株式会社フィット」は関連会社の「株式会社エンプロ」「株式会社ロジック」とともに、東京地方裁判所より破産手続き開始決定を受ける。
棟朝 銀河(むねとも ぎんが、1994年4月7日 - )は、… 棟朝 銀河(むねとも ぎんが、1994年4月7日 - )は、日本のトランポリン選手。リオデジャネイロオリンピックトランポリン競技に出場し、個人4位(日本人最高位)を獲得。また世界選手権団体銅メダルを獲得するなど、世界で活躍している日本のトランポリン界を牽引する代表選手である。 1994年4月7日、東京都西東京市に生まれる。 小学2年生からトランポリン競技をはじめる。 小学5年生でオリンピック強化指定選手に指定される。 全日本ジュニアトランポリン選手権で最優秀選手賞を2年連続で獲得。 中学3年で、全日本選手権6位入賞するなど,幼少期から頭角を表す。 高校2年生で、難度点日本記録を樹立。 明治大学付属明治高等学校・中学校卒業後、慶應義塾大学環境情報学部に進学し、大学1年時に自身の難度点日本記録を更新し、日本人初の18点台を樹立した。
羽田 圭介(はだ けいすけ、1985年〈昭和60年〉10月1… 羽田 圭介(はだ けいすけ、1985年〈昭和60年〉10月19日 - )は、日本の小説家。東京都生まれ。明治大学商学部卒業。 幼少時に交通事故に遭い自動車に轢かれたが、奇跡的に命が助かったという経験を持つ。高校時代は毎日放課後に40km、自転車で走りトレーニングをしていた。自転車で北海道まで走破したこともある。将来の夢として自転車の実業団選手を目指しており、ツール・ド・フランスに出場する事を真剣に考えていた。 明治大学付属明治高等学校在学中の2003年、高校生と中学生の兄弟が憎み合い、「家庭内ストーキング」を繰り返すさまを独特の表現で描いた「黒冷水」で第40回文藝賞を受賞。17歳での文藝賞受賞は堀田あけみ、綿矢りさと並んで当時3人目で、当時最年少だった。
堀雅貴(ほり まさたか、1985年2月17日 - )は、日本… 堀雅貴(ほり まさたか、1985年2月17日 - )は、日本のマンドリニストである(マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ)。東京都出身。 明治大学付属明治中学校にてマンドリンに出会う。高校入学と同時にKubota Musik Akademieに入室。マンドリン・指揮法・和声学を久保田孝に師事。明治大学法学部在学中に2年連続で学部長奨励賞を授与される。 平成23年度文化庁新進芸術家海外研修員としてドイツ・ザールブリュッケンに留学。Juan-Carlos Muñozにマンドリンを師事。2014年第10回ラファエレ・カラーチェ国際マンドリン独奏コンクール第1位。大髙清美にジャズ理論・即興演奏を師事。
石井 一太郎(いしい いちたろう、1982年6月14日 - … 石井 一太郎(いしい いちたろう、1982年6月14日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都港区出身。第53代日本ライト級王者。第41代OPBF東洋太平洋ライト級王者。現役時代は横浜光ボクシングジム所属で現在は同ジム会長。明治大学付属明治中学校・高等学校、明治大学卒業。 高校までは野球をしていたが、大学でボクシングを始める。 2001年9月29日、プロデビュー戦をスーパーフェザー級で行い1回KO勝利を収めた。 2002年11月9日、東日本スーパーフェザー級新人王決定戦を熊野和義と行うも、6回判定で敗れ初黒星を喫し、この試合後ライト級に階級を上げる。 2007年4月21日、日本ライト級1位にランクされ、日本ライト級王者長嶋建吾に挑戦するが、10回判定で敗れ王座獲得に失敗した。
宮原 奨伍(旧芸名:宮原 将護、みやはら しょうご、1980… 宮原 奨伍(旧芸名:宮原 将護、みやはら しょうご、1980年〈昭和55年〉7月18日 - )は、日本の俳優・モデルである。東京都出身。SHIN ENTERTAINMENT所属・モデルエージェンシー マドモアゼル提携。妻は女優の江田恵。
立川 志獅丸 (たてかわ ししまる、1976年(昭和51年)… 立川 志獅丸 (たてかわ ししまる、1976年(昭和51年)4月19日 - )は、日本の落語家。落語立川流所属の真打。出囃子は『せり』。東京都東久留米市在住。 1976年、東京都豊島区出身。明治大学付属明治高等学校(柔道部主将)、明治大学農学部農業経済学科卒業後、株式会社きもののやまとに入社。2年勤続後立川志らくに弟子入り。前座名はらく太。 2012年、二つ目に昇進し、立川志獅丸に改名。2014年、第13回さがみはら若手落語家選手権に初出場し、初優勝した。 2019年夏に真打昇進が内定しているが、同年5月に師匠の志らくが主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことから「弟子が師匠に対して興味がないのなら弟子である必要はありません」との理由で、志らく門下の二つ目7人全員が前座に降格となった。
古澤 力(ふるさわ ちから、1972年 - )は、生物物理学… 古澤 力(ふるさわ ちから、1972年 - )は、生物物理学者、東京大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 賢志(すずき けんじ、1968年11月27日 - )は… 鈴木 賢志(すずき けんじ、1968年11月27日 - )は、日本の社会科学者、明治大学国際日本学部教授、スウェーデン・ストックホルム商科大学欧州日本研究所上席研究員。 東京都世田谷区出身。明治大学付属明治中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。株式会社富士総合研究所(現:みずほリサーチ&テクノロジーズ)勤務後、イギリスに留学。1996年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士課程修了。2000年、ウォーリック大学にて博士号取得。ウォーリック大学在学中の1997年にスウェーデンのストックホルム商科大学欧州日本研究所に客員研究員として赴任、以後、同研究所で助教授、准教授となる。2007年にイギリスに戻りオックスフォード大学に客員研究員として半年間赴任したのち、2008年4月より現職。
三条 陸(さんじょう りく、1964年〈昭和39年〉10月3… 三条 陸(さんじょう りく、1964年〈昭和39年〉10月3日 - )は、日本の漫画原作者・脚本家。大分県出身、東京都品川区育ち。血液型はRh-のAB型。明治大学卒業。複数の別名義を使用して活動もしており、いずれの名義もイニシャルをR・Sで統一している。 大分県で生まれ、2歳頃に家族で神奈川県(東京都品川区付近)に移住し、その後東京都品川区に転居した。子供の頃からウルトラマンや仮面ライダーが好きで、当時の学年誌などに掲載されていた円谷プロのメイキング記事を見て特撮に関わる仕事に憧れ、小学校低学年の頃から「ウルトラマンを作るおじさんになりたい」と言っていた。漫画を描くことが好きで、漫画家にも漠然と憧れていた。
神力 裕(しんりき ひろし、1964年3月4日 - 2022… 神力 裕(しんりき ひろし、1964年3月4日 - 2022年12月14日[要出典])は、日本の歌手、俳優、作詞家、作曲家。旧芸名:藤 慎一郎(ふじ しんいちろう)。福岡県出身。 後に清水健太郎主演「雀鬼」主題歌、清水健太郎「アメジスト」として発売
高田 裕三(たかだ ゆうぞう、1963年3月21日 - )は… 高田 裕三(たかだ ゆうぞう、1963年3月21日 - )は、日本の漫画家。東京都江戸川区出身。明治大学付属明治高等学校卒業、明治大学文学部日本文学専攻中退。本名:高田裕次。代表作は、『3×3 EYES』や『万能文化猫娘』、『碧奇魂ブルーシード』など。 『3×3 EYES』で1993年度 第17回 講談社漫画賞受賞。 漫画家を志した高校時代は少女漫画を描いていたが、当時はまだ少女漫画は絵柄等の自由度が低く、そのことから作者の描く絵は少女漫画には向いていないと持ち込みの段階で編集部から拒絶され少年漫画などへと転向した。大学では明治大学漫画研究会に所属、4年留年し中退。当時は片山まさゆき、細野不二彦、五十嵐浩一のアシスタントをしていた。
中山 俊行(なかやま としゆき、1962年 - )は、日本の… 中山 俊行(なかやま としゆき、1962年 - )は、日本の元トライアスロン選手。トライアスロン指導者。 1962年、神奈川県川崎市に生れる。明治大学付属明治高等学校・中学校では剣道部に所属。明治大学進学後にサイクリングの同好会であるMCTC(明治大学サイクリスツツーリングクラブ)に籍を置きながら学連に登録し、自転車競技の活動をしつつ、トライアスロンを開始。1981年に湘南トライアスロン大会で優勝して以降、長年に亘り、日本トライアスロン界のフロンティアとして活躍。大学在学中には、フジテレビのイメージキャラクターにもなった。 日本人プロ第1号となり、“ミスター・トライアスロン”と称された。現在は、日本トライアスロン連合理事。
岡田 浩之(おかだ ひろゆき、1960年7月11日 - )は… 岡田 浩之(おかだ ひろゆき、1960年7月11日 - )は、日本の認知科学者。玉川大学教授。専門は認知発達ロボティクス。東京農工大学大学院生物システム応用科学研究科生体機構情報システム学専攻博士課程修了。博士(工学)(東京農工大学)(2000年)。東京都出身。 東京情報デザイン専門職大学教授 RoboCup Federation Trustee、ロボカップ日本委員会会長、日本認知科学会フェロー、日本ロボット学会フェロー。 赤ちゃんの発達とロボット研究を融合させた研究を行っている。彼が率いる「eR@sers(イレイサーズ)」はロボカップ2008世界大会(中国)、2009世界大会(シンガポール)の@ホームリーグで世界一となった。
前原正浩(まえはら まさひろ、1953年11月24日 - )… 前原正浩(まえはら まさひろ、1953年11月24日 - )は、日本の元卓球選手、現指導者。東京都墨田区錦糸町出身。段級位は7段。現役時代は明治大学を卒業後協和醗酵キリンに所属し、全日本選手権男子シングルス優勝や、日本代表として活躍。現役引退後は ソウル、アトランタ、シドニーの3度のオリンピックで日本代表監督を務めた後、現在は国際卓球連盟副会長。日本卓球協会副会長。日本オリンピック委員会評議員。 1953年 東京都墨田区生まれ。父正作と母美津(故人)のもとに生まれる。四つ違いの姉、二つ違いの兄がいる。 錦糸小学校4年生時に姉の影響で卓球を始める。「東京では飯が食えない」が父の口癖だったが、両親の反対を押し切り練習に行くほどのめり込む。
前野 重雄(まえの しげお、1953年2月11日 - )は、… 前野 重雄(まえの しげお、1953年2月11日 - )は、日本のスポーツグッズ評論家・スポーツグッズ販売店経営者、コラムニスト、ジャーナリスト。東京都荒川区出身。台東区立根岸小学校卒。明治大学付属明治高等学校・中学校中退。ハワイ州立大学言論学部、世論誘導学科修了。旧姓は宇野(うの)。オフィス流体力学所属。
澁谷 司(しぶや つかさ、1953年 - )は、アジア太平洋… 澁谷 司(しぶや つかさ、1953年 - )は、アジア太平洋交流学会会長。元拓殖大学海外事情研究所 附属華僑研究センター長、元拓殖大学海外事情研究所教授。 専門は、現代中国政治、現代台湾政治、東アジア国際関係論。中国語が堪能で、現代中国の情報を駆使して、多数のメディアで中国共産党の崩壊への過程を論評している。 1953年、東京生まれ。 明治大学付属明治高校 卒業。 東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学 大学院「地域研究」研究科 修了。 関東学院大学、亜細亜大学、青山学院大学、東京外国語大学などで非常勤講師を歴任。 2004年夏から2005年夏の間、台湾の明道管理学院(現・明道大学)で教員。
桜井 久昭(さくらい ひさてる、1951年9月2日 - )は… 桜井 久昭(さくらい ひさてる、1951年9月2日 - )は、日本競輪選手会・東京支部に在籍していた元競輪選手。明治高校出身、日本競輪学校第28期生。 1971年2月11日、京王閣競輪場でデビューし1着。1975年の競輪王決勝戦において、久保千代志の番手から直線抜け出し優勝した。2009年1月15日、選手登録削除。通算戦績3068戦467勝。記念競輪13回優勝。
前田 俊明(まえだ としあき、1949年10月16日 - 2… 前田 俊明(まえだ としあき、1949年10月16日 - 2020年4月17日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都台東区下谷生まれ。明治大学付属明治高等学校から明治大学に進学し、在学中は明治大学マンドリン倶楽部に所属。古賀政男・舩木謙一・猪俣公章に師事。 1981年(昭和56年)山川豊「函館本線」で第23回日本レコード大賞・新人賞、受賞。第12回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞受賞。 1990年(平成2年)伍代夏子「忍ぶ雨」で第21回日本歌謡大賞・放送音楽賞受賞。 1992年(平成4年)藤あや子「こころ酒」で第34回日本レコード大賞歌謡曲演歌部門・編曲賞受賞。 1998年(平成10年)川中美幸「二輪草」で第40回日本レコード大賞・編曲賞受賞など。
吉沢 昭(よしざわ あきら、1949年1月16日 - )は、… 吉沢 昭(よしざわ あきら、1949年1月16日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。選手引退後はフィギュアスケート審判員を務めた。1968年、1969年全日本フィギュアスケート選手権2位。 東京都出身。千代田区立練成中学校、明治大学付属明治高等学校、明治大学卒業。妹の吉沢春水もフィギュアスケート選手だった。 1969年、国民体育大会に東京都代表で出場し、一般男子で優勝する。同年、全日本選手権に出場し小塚嗣彦に続いて2位に入る。 1970年、全日本選手権では樋口豊に続いて2年連続で2位となる。 また日本学生氷上競技選手権大会では第41回(1969年)と第42回(1970年)に2位、第43回(1971年)に1位を獲得した。
今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身… 今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。 明治高等学校では1年上の古川義弘(明治大学-日本楽器)とバッテリーを組み、1965年春の選抜に出場。1回戦で田原本農を降すが、2回戦では岡山東商の平松政次と投げ合い0-1で惜敗。同年夏の甲子園都予選は6回戦で日大二高に敗れる。同年秋季東京大会は準々決勝に進むが国士舘高に敗退。 明治大学に進学し、古川と再びバッテリーを組む。東京六大学野球リーグでは1969年春季リーグで8年振りに優勝。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄との二本柱で早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。
前田 忠昭(まえだ ただあき、1946年2月11日 - )は… 前田 忠昭(まえだ ただあき、1946年2月11日 - )は、日本の実業家。
福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 -… 福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の元検察官、弁護士。創価学会では、副会長などの役職を務めた。 明治大学付属明治高等学校を経て東京大学法学部を卒業。1965年に司法試験合格し、検察官(検事)に任官し、検察官を退官後に、1975年に弁護士となる。東京弁護士会会長、法律扶助協会理事などを歴任。新麹町法律事務所所長。 創価学会では、副会長などの役職を務めた。
久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、… 久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、日本の指揮者・作曲家・マンドリン教師。東京都小石川区(現文京区)出身。明治大学法学部、カールスルーエ音楽大学指揮科、ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。 明治大学卒業後、三石精一に師事。後1968年に西ドイツへ留学し、カールスルーエ音楽大学指揮科でアルトゥール・グリューバーに師事。後1972年ウィーン国立音楽大学指揮科ハンス・スワロフスキーに師事。指揮者としての研鑽を積む。帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、新星日本交響楽団、日本新交響楽団、ディベルティメント室内管弦楽団を指揮した。青少年音楽日本連合(JMJ)主催の青少年音楽祭では、ジュネス・ミュジカル・マンドリンオーケストラの指揮を1976年より以後7年間務めた。
林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日 - 1… 林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日 - 1969年3月3日)は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。明治大学在学中に1964年東京オリンピックに出場、男子スモール・ボア・ライフル伏射で6位入賞。 山形県米沢市出身。明治高等学校卒業後、1961年(昭和36年)に明治大学に入学。 明治大学入学後、射撃部に入部し頭角を現す。1964年、大学4年生時には射撃部主将を務め、伏射60発競技で日本選手権を獲得した。1964年東京オリンピックに男子スモール・ボア・ライフル伏射種目で出場し、6位入賞(594点)。1位のラスロー・ハンメルは597点で、6位まで3点差という大接戦であった。 大学卒業後は競技から引退し、兄の起こした会社に勤務した。
向殿 政男(むかいどの まさお、1942年(昭和17年)4月… 向殿 政男(むかいどの まさお、1942年(昭和17年)4月5日 - )は、日本の工学者。専門は安全工学、ファジィ理論、多値論理など。安全のエキスパート、大家であり、フェイルセーフを始めとする安全理論に加えて各種調査委員会や標準化活動でも貢献した。明治大学工学博士、名誉教授、明治大学校友会名誉会長。2015年安全功労者内閣総理大臣表彰。2021年瑞宝中綬章受章者。 明治大学専任講師、助教授、教授を経て、2014年より同大学顧問。日本信頼性学会や日本知能制御ファジィ学会、アジアファジィシステム学会、私立大学情報教育協会、安全技術応用研究会、セーフティグローバル推進機構、鉄道総合技術研究所で会長を歴任。
殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡… 殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡県出身のジャーナリスト。 浜松市に生まれ、5歳から東京に育つ。1961年、明治大学付属明治高等学校卒業。1968年、明治大学文学部を卒業し、朝日新聞社に記者として入社、浦和支局に赴任し警察担当者として「狭山事件」など事件をおもに取材。1973年、北海道支社報道部へ転勤し道議会を担当。1974年、旭川支局に転勤。1977年、東京本社に異動し、内勤の紙面編集記者となる。1988年頃から狭山事件の取材に本格的に取り組み、石川一雄の冤罪説を展開。2002年に同社を定年退職。退職後、合資会社勝どき書房を立ち上げる。「昭和俳句弾圧事件」に取り組み、岳父である自由律俳人橋本夢道を研究、「夢道サロン」代表となる。
アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京… 成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京都出身の元野球選手。 東京都品川区出身で、品川区立大崎中学校、明治高校、明治大学を経て、社会人野球の日本コロムビアで野球選手として活躍した。明治高校では春、夏1度ずつ2度の甲子園出場を果たした。第40回全国高等学校野球選手権大会東京都代表決勝戦では、王貞治が投手だった早稲田実業学校と戦い、1対1で延長戦に入り、延長12回表に早稲田実業に4点を取られたが、その裏明治が5点を奪い劇的な逆転サヨナラ勝利で、甲子園出場を果たした。この時成島は2年生でショートを守っていた。王貞治は今でもこの時のことを生涯忘れられないと語っている。 卒業後は明治大学に入り、東京六大学野球で活躍し、東大戦でホームランも打っている。
野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009… 野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009年1月1日)は、日本の元プロボクサー。元ボクシング日本フライ級王者。野口ボクシングジム名誉会長。愛媛県出身。プロボクサーであり、野口ボクシングジム創始者のライオン野口の次男。キックボクシング創始者の野口修は兄、自身の長女は野口ボクシングのジムマネージャー、長男は野口ボクシングジム3代目会長を務める。
村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は… 村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 明治高校では2年生の時、エースとして1955年春季関東大会準々決勝に進むが、水戸商の生田目貢(明大)に完封を喫する。翌1956年夏の甲子園都予選準決勝に進出、早実高の王貞治と投げ合うが1-2で惜敗し、甲子園出場を逃した。 1957年に国鉄スワローズに入団。1958年には開幕2戦目から先発として起用されるも、開幕から3連敗を喫する。4月26日に大洋ホエールズを相手に先発、9三振を奪い中島執の1安打のみに抑え初勝利を完封で飾る。同年はリーグ最多の62試合に登板し、5連勝を含む15勝を記録した。1960年には18勝をマークするなど、金田正一に次ぐ第2エースとして長くスワローズの投手陣を支えた。
林 務(はやし つとむ、1936年12月30日 - )は、日… 林 務(はやし つとむ、1936年12月30日 - )は、日本の水泳指導者。 1936年、東京生まれ。1959年、明治大学商学部卒業。明治大学水泳部の監督を務めた他、アトランタオリンピック競泳競技監督、 ドーハ・アジア大会日本選手団団長、2004年アテネオリンピック日本選手団副団長などを務めた。また、日本オリンピック委員会副会長、日本水泳連盟副会長などに就任した。
石田 雅亮(いしだ まさあき、1936年1月13日 - )は… 石田 雅亮(いしだ まさあき、1936年1月13日 - )は、東京都出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手。 明治高校では、四番打者、一塁手として活躍。1952年秋季東京大会では4高校による決勝リーグに進むが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1953年夏の甲子園都予選でも決勝に進出、桑田武のいた荏原高に延長11回サヨナラ勝ち、夏の甲子園に出場を決める。大会では準々決勝に進み、後にプロで同僚となる阿井利治らのいた静岡商に辛勝。しかし準決勝で松山商の空谷泰に完封を喫した。 1954年に国鉄スワローズへ入団。2年目の1955年には開幕から六番打者、一塁手として起用され、120試合に出場。
冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は… 冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本アイスホッケー連盟会長、元国際アイスホッケー連盟副会長、初代アジアリーグアイスホッケーチェアマン、元日本オリンピック委員会国際委員会委員長。 東京都中央区京橋出身、ふすま紙や表具などの資材を扱う問屋の家に生まれた。明大明治中学・高校・明治大学卒業。 東京都で生まれ育ったが、小学校6年間は疎開で5つの学校に通った、少年時代は柔道やテニスに打ち込んでおり講道館に通っていたが、中学3年の時、スベン・ヨハンソン(英語版)(スウェーデン)との出会いをきっかけに明治高校のアイスホッケー部の練習に参加、高校進学後に正式に入部した。
関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )… 関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )は、1950年代に大洋ホエールズに在籍した東京都中央区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 明治高校では控え投手。1952年春季関東大会決勝に進み、宇都宮高を相手に先発を任せられるが、初回に打ち込まれ降板している。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは3年生までに3回の優勝を経験。貴重な左腕として期待されるが、1年上の秋山登の陰に隠れ登板機会には恵まれなかった。しかし秋山が卒業した1956年春季リーグでは、中田昌宏、衆樹資宏ら強打者揃いの慶大を完封し、一躍脚光を浴びる。その後は投手陣の中軸として起用されるが、チームは春季3位、秋季4位に終わった。
野口 修(のぐち おさむ、1934年1月24日 - 2016… 野口 修(のぐち おさむ、1934年1月24日 - 2016年3月31日)は、日本のプロモーター。1966年にムエタイを参考にして「キックボクシング」を考案および創始し、日本キックボクシング協会を設立。1970年より芸能プロモーターとしても活動し、五木ひろしを売り出した。父はプロボクサーのライオン野口、弟はプロボクサーの野口恭。 東京都文京区出身[要出典]。1938年に父であるライオン野口が児玉誉士夫の招聘で一家を連れて上海に渡ったため、幼少期を上海で過ごす。上海では父が芸能興行を手掛けていた縁からディック・ミネらに可愛がられて育つ。太平洋戦争で日本が敗れると日本に引き揚げ、しばらくは西日本を転々とし、嘉納健治などに世話になった。
三迫 仁志(みさこ ひとし、男性、1934年1月10日 - … 三迫 仁志(みさこ ひとし、男性、1934年1月10日 - 2019年8月1日)は、日本の元プロボクサー、プロボクシング・プロモーター。現役時代は野口ボクシングジム所属で、引退後は三迫ボクシングジムを創設し会長、後に名誉会長を務めた。元日本プロボクシング協会会長、商学士。 愛媛県新居浜市で出生し、当時の新居浜市長と懇意だったライオン野口の知遇を得てボクシングを始め上京、西条高校から明治高校へ転校、高校時代にプロデビュー。高校時代の同級生には後の読売ジャイアンツ監督藤田元司、明治大学同級生に野口の長男でキックボクシング生みの親でもある野口修がいた。 明大在学中に日本フライ級王者となり、約2か月後にOBF東洋フライ級王者となった。
沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 20… 沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 2012年5月23日)は、東京都出身で、大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(外野手)である。1960年の大洋V1戦士の1人。 明治高校では外野手として、甲子園に3回出場した。2年生時の1950年春の選抜では1年上のエース・大崎三男を擁し、1回戦で彦根高を降すが、準々決勝で北野高に敗退。同年夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。翌年の春の選抜では準決勝まで進むが、藤尾茂、中田昌宏らを擁した鳴尾高に大敗した。 卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不… 大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)。 明治高校では、エースとして1950年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜は1回戦で彦根高の中川和俊(のち毎日)と投げ合いを完封勝利、続く準々決勝で北野高に乱打戦の末に敗退。夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。この時の監督は、後に大学野球監督として著名となる島岡吉郎である。1年下のチームメートに右翼手の沖山光利がいた。 明治大学に進学し、同学硬式野球部に所属。高校の野球部監督だった島岡も同時期に明治大学硬式野球部へと移っている。しかし1953年に退部し、大学も中退。この退部の原因は、1年後輩の秋山登がエースとして起用されるようになったことに対する不満とも、監督である島岡吉郎との確執とも言われている。
郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 … 郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 - 2006年(平成18年)12月12日)は、日本の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる。 明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )… 近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )は、日本のスポーツライター、コラムニスト、ノンフィクション作家、野球評論家。 左官職人の長男として東京都の本郷に出生、6歳から野球を始めた。旧制明治中学校では硬式野球部に所属し島岡吉郎監督の指導を受けるも、右肺の弱さから試合出場経験はなし。その後、明治大学法学部へ進学。島岡の薦めにより野球のプレーは諦め、書く方にまわろうとグラウンドに顔を出して野球観戦をした。卒業後の1953年4月に報知新聞社に入社し、同新聞(現:スポーツ報知)のスポーツ記者となる。1956年に朝刊の発行を始めた東京新聞にスカウトされて移籍。毎日の戦評と野球コラム「金曜放談」を署名入りで執筆。
たなか ゆきを(1927年4月26日−2020年10月22日… たなか ゆきを(1927年4月26日−2020年10月22日 )は、東京都出身の作詞家。 明治大学商学部卒業。印刷会社の取締役に就任後、明治大学付属明治高等学校・中学校で教鞭をとりつつ作詞家を志す日々を過ごした。1957年(昭和32年)、既に著名作詞家であった石本美由起の門下生となり、同氏が主宰する歌謡同人誌「新歌謡界」に準同人として入会する。三宅立美、秋田泰治、星野哲郎、八反ふじを、松井由利夫、若山かほる、岩瀬ひろしは、当初からの同門詩友である。1958年(昭和33年)にキングレコードの専属作詞家となり、以後42年間、同社が専属制度を廃止するまで契約を継続し、フリーの作詞家として活動していた。
別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 20… 別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ。 1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年の明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした。
山﨑 春之(やまざき はるゆき、1926年2月4日 - 20… 山﨑 春之(やまざき はるゆき、1926年2月4日 - 2010年1月13日)は、日本の教育者。学校法人駿河台学園の学園長等を務めた。学校法人駿河台大学名誉総長。東京都出身。 父74歳の時に理事長代行を請われ、「利益を追求したり、教育的意義がなくなった時は、すぐやめる」という条件をつけて就任。ビジネスマンとしての経験に基づき経営手腕を発揮し、特に昭和60年頃からの駿台予備学校の全国展開、専門学校の拡充、念願であった大学の開設といった拡大路線を成功させた。
石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月2… 石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月21日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、日本の中国現代史家。慶應義塾長を戦後最長、鎌田栄吉以来歴代2番目の長さとなる4期16年務めた。 1991年文化功労者。1995年勲一等旭日大綬章、2000年文化勲章受章。弟に石川明 (法学者)がいる。 中国政治史研究者で、及川恒忠に師事。初期に中国憲法史と中国共産党史を研究。主著は中国共産党に関する先駆的業績となった『中国共産党史研究』。次いで中華人民共和国の政治及び外交の研究を行ない、同時に日中国交正常化へ至る政策決定にも関与した。1984年から日中友好21世紀委員会の日本側座長を務め、日中関係の基礎作りに邁進した。
鵜澤 昌和(うざわ まさかず、1918年(大正7年)11月2… 鵜澤 昌和(うざわ まさかず、1918年(大正7年)11月24日 - 2019年(平成31年)2月4日)は、日本の経営学者。青山学院大学名誉教授。専門分野は、経営情報システム、コンピューター応用、オフィスオートメーション。 青山学院大学学長、東京家政学院大学学長、日本ファシリティマネジメント推進協会会長、日本セキュリティ・マネジメント学会会長等を歴任し、藍綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章した。 東京都生まれ。旧制明治中学校(現明治大学付属明治高等学校)在学中、同校校長を務めていた父鵜澤總明(明治大学総長)が通っていた富士見町教会で洗礼を受ける。1936年に明治中学を卒業し、旧制東京商科大学(現一橋大学)予科に進学。
坂本 朝一(さかもと ともかず、1917年3月28日 - 2… 坂本 朝一(さかもと ともかず、1917年3月28日 - 2003年12月31日)は、日本の放送人。第12代日本放送協会(NHK)会長。「朝の連続テレビ小説」の生みの親として知られる。 東京都千代田区にある神田明神境内の割烹料理屋「開花楼」の主人・2代目坂本彦平(坂本猿冠者)の子として生まれる。旧制明治中学校から早稲田大学文学部英文学専攻科に進学し、同校を卒業。 1939年にNHKに入局。主にラジオドラマや演芸などの芸能番組を担当。1940年4月にはテレビ実験放送の公開番組として、日本初のテレビドラマである『夕餉前』を演出した。戦後には『二十の扉』『私は誰でしょう』『向う三軒両隣り』などを担当した。
藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日… 藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉10月22日)は、日本の政治家。位階勲等は正三位勲一等。 衆議院議員(11期)、文部大臣(第109代)、労働大臣(第43代)、自由民主党政務調査会長(第31代)を歴任した。 東京生まれ。関東大震災で家が焼失したことから、移住先の神戸で少年時代を過ごす。教員への暴力事件で旧制神戸第一中学校を放校処分になった後、明治大学予科に進むが、ここでも教員への暴力により中退。応召し、2年間の兵役に従事して病気除隊後、上智大学文学部新聞学科卒業。 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。