蒲谷 和茂(かばや かずしげ、1966年12月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 関東学院六浦高では、速球を駆使し神奈川県大会ベスト4に入り注目を浴びた。 1984年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから3位指名を受けたが、社会人野球の東芝に入社が決まっていたため入団を拒否。このドラフトでは、司会を務めていた伊東一雄から「うなぎの蒲焼きの蒲」と字を説明された。 入社1年目には都市対抗野球決勝戦で登板機会があり、その後、ソウルオリンピック野球日本代表候補になるが、1988年に単独の交通事故を起こし、右上腕開放骨折のうえ、3本の肋骨も骨折してそれが肺に刺るなど、3日間意識不明、2か月半の入院という瀕死の重傷を負う。
出典:ウィキペディア「蒲谷和茂」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
