笠原 軔(かさはら じん) は新潟県の洋画家、漢詩人、郷土史家。号は屠竜山人、揚峡酔樵。故郷新潟や津川の風景画を多く残した。 1885年(明治18年)4月24日新潟県官吏渡辺漁村の次男として新潟に生まれた。1887年(明治20年)母を失い、後妻キエと伯父碇浦の未亡人キクに養育された。当初白山浦に住み、学校町二番町に移り、白山浦に戻った。 1898年(明治31年)新潟高等小学校4年を卒業し、4月新潟県立中学校に進学した。同期には小柳篤二・佐藤荘一郎・小山九一・薄田白天郎・古川北華・諸橋宏・山岸(草野)宏次郎・三浦卓爾・五十嵐昌平・村山真雄、1級下には平田笛人等がいた。3年次に父が中学校に赴任し、軔の「つぁま」(中越方言で「父」の意)として「ジンツァマ」と呼ばれた。
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