中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 1988年1月31日)は、日本の洋画家である。日本芸術院会員。 鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の二男として、当時啓二郎が勤務していた佐渡金山があった新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)に生まれる。洋画家の中村研一は実兄。1899年、愛媛県新居浜に移り、1906年より、福岡県の祖父母のもとで育つ。旧制東筑中学(現福岡県立東筑高等学校)入学後、福岡県立中学修猷館に転校。在学中に兄・研一や児島善三郎らが創立した絵画同好会「パレット会」に参加して、西洋絵画を勉強している。1916年、父の跡を継ぐべく第五高等学校理科に進むが、健康上の理由で中退し、第六高等学校英法科に入学して、1924年、東京帝国大学経済学部を卒業する。
出典:ウィキペディア「中村琢二」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
