岩下 守道(いわした もりみち、1931年12月9日 - 2015年1月18日)は、長野県北佐久郡北御牧村(現役当時、現・同県東御市)出身の読売ジャイアンツや国鉄スワローズなどに在籍したプロ野球選手。 小県農業高校では投手で、球速は速かったが制球に難があり、それを補うためにコーチをする者もいない中でカーブの投げ方を自分で考案したという。1949年夏に読売ジャイアンツ(巨人)が初めて選手公募を行った際、卓球部主将の尾崎直司(のち八千代市議会議員)が岩下に内緒で申し込んだのがきっかけで入団テストを受け、応募者1,300名の中で総合得点ではトップ合格。支度金10万円、給料15,000円の条件で入団した。
出典:ウィキペディア「岩下守道」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
