近藤 鉄己(こんどう てつみ、1916年 - 1945年8月3日)は、日本のアマチュア野球選手。愛知県出身。ポジションは捕手。 愛知商業(現・愛知県立愛知商業高等学校)在学中は、甲子園に2回出場(内訳は春1回〔1935年〕。夏1回〔1935年〕。)出場した大会でどちらもベスト4まで進出し、自身は1935年春の大会で優秀選手賞を受賞した。 愛知商業卒業後、1936年に慶應義塾大学に進学。六大学野球でも活躍し、1939年秋季リーグで高木正雄とバッテリーを組み、慶大の13季ぶりの優勝の立役者となった。 しかし慶大を卒業後応召され、終戦12日前の1945年8月3日にフィリピンルソン島イフガオ州キャンガンにて、胸部貫通銃創により戦死した。
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