村川 幸信(むらかわ ゆきのぶ、1911年6月7日 - 没年不明)は、香川県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 高松中学(現・香川県立高松高等学校)在学中には、梶原英夫(のち東大野球部でプレー。1943年に戦病死)とバッテリーを組んでいたが、野球に熱中する余り、学業が疎かになり落第。仕方なく高松中を中退し、大谷中学校(京都府)の4年生に編入。ここで、当時一塁手だった青柴憲一(のち東京巨人軍に在籍)と出会い、青柴を投手に転向させ、たちまち名バッテリーとして京都府下では評判になった(甲子園出場は果たせなかった)。 1931年に青柴と共に、前年(1930年)に旧関西六大学野球連盟に加盟したばかりの立命館大学野球部に所属。
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