東山 勝英(ひがしやま まさひで、1958年 - 2007年12月1日)は、日本の元ラグビー選手。ポジションは主にロック及びフランカー。 「勝英」の名の由来は「英国に勝つ」という父親の願いが込められたものである。 兵庫県立神戸高等学校、慶応義塾大学を経て、神戸製鋼へと進む。なお、以上3チーム在籍時代にはいずれも主将を経験している。 神戸製鋼の主将時代、練習をやらされているという意識が部員内に蔓延していた背景を受け、監督制を廃止し、主将である自身を中心としたチーム作りに改めたが、後に、林敏之、平尾誠二、大西一平らと続く歴代の同チームの主将時代にもその流れが継承されたことから、後の神戸製鋼の黄金時代の土台を築いた人物として知られる。
出典:ウィキペディア「東山勝英」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
