阿部 信文(あべ のぶふみ、1907年(明治40年)2月24日 - 1983年(昭和58年)12月29日)は、日本の柔道家(講道館9段)、教育者。 講道館創始者嘉納治五郎に直接柔道の手ほどきを受けた直弟子で大正末期から昭和初期の現役時代には得意の背負投を武器に一世を風靡し、後には全日本柔道連盟評議員・常任理事、境港市教育委員長、鳥取県体育協会評議員、鳥取県柔道連盟会長、境港市体育協会会長を務めるなど日本柔道界の重鎮として知られた。 鳥取県西伯郡余子村(現・境港市高松町)出身。県立米子中学校(現・県立米子東高校)時代には右の一本背負投や跳腰で名を馳せ県下に伍する者無く、身長165cm・体重68kgの小兵ながら在学中に大日本武徳会で2段位を取得した。
出典:ウィキペディア「阿部信文」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
