山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3日 - 2013年〈平成25年〉7月6日)は、長崎原爆の被爆者、日本の反核平和運動家。 1930年、長崎県南松浦郡玉之浦町(現在:長崎県五島市玉之浦町)に、四男四女の8人きょうだいの次男として生まれる。家は半農半漁で10段の段々畑があり、主にサツマイモを栽培していた。漁業は延縄漁でイシダイなどは売り、雑魚が食卓用だったほか、イカ釣りや鰻取りなども行っていた。また、父は製菓業「月美堂」を営んでいた。 1945年(昭和20年)8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた長崎市の三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.1kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆した。
出典:ウィキペディア「山口仙二」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
