波多野 秋子(はたの あきこ、1894年10月 - 1923年6月9日)は、中央公論社の『婦人公論』記者、有島武郎の愛人で心中相手。 出自は不明ながら、当時の新聞報道によれば、実業家の林謙吉郞が新橋の芸者に生ませた庶子であるとされる。父親が用意した麻布の別宅に実母と暮らし、月の7日間と夏冬の休暇を父親宅で過ごす生活の中で育つ。実践女学校に入学後、その美貌から父親は秋子を園遊会などさまざまな会に同伴者として連れ回した。大正元年(1912年)実践女学校を卒業。卒論にルターの宗教改革を選び、その参考書を探しに友人の紹介で、米国帰りの英語塾経営者であった波多野春房(烏峰)の家を訪ね、知り合う。 波多野は前妻の安子を離縁して18歳の秋子と同棲し、秋子の母が亡くなった翌1913年に結婚。
出典:ウィキペディア「波多野秋子」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
