正岡 芸陽(まさおか げいよう、1881年(明治14年)9月5日 - 1920年(大正9年)3月24日)は、日本の評論家、ジャーナリストである。芸陽は筆名で、本名は猶一。 広島県に生まれる。10歳で父を失い、翌日に母を失った。12歳で広島監獄の給仕となる。その傍ら、濱名眞金(はまなまがね)に漢学を学び、同時に三浦某に英語を学ぶ。13歳(明治27年)キリスト教を受洗し布教に従事していたが、14歳で東京に出て苦学し、15歳から16歳にわたって伊豆湯河原温泉近在、泉村の小学校で教鞭を執った。同校を辞して再び東京に出て青山学院大学に学ぶものの幾ばくもせずに退学し、17歳の時に北海道の新聞社に記者として赴き、半年間在職後に帰京しやまと新聞社に入社。
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