スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
侘美 秀俊(たくみ ひでとし、1973年 - )は、日本の作… 侘美 秀俊(たくみ ひでとし、1973年 - )は、日本の作曲家、編曲家、楽譜浄書家、著述家。北海道帯広市出身。株式会社H-t studio代表取締役。 北海道帯広市に生まれる。北海道帯広柏葉高等学校を経て、武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科で音楽を学び、在学中は川辺真に和声、対位法、作曲の指導を受けた。 在学中から、演劇、バレエなどの舞台、映画、映像作品、イベントのオリジナル楽曲制作に携わる。卒業後は作曲・編曲活動を中心に、劇場映画、テレビドラマのサウンドトラック、陸上自衛隊音楽隊の委嘱作品、国民体育大会や音楽ホール開館記念のファンファーレ、演劇舞台音楽、こどものためのオペレッタなど幅広い分野で活動している。
吉田 美和(よしだ みわ、1965年〈昭和40年〉5月6日 … 吉田 美和(よしだ みわ、1965年〈昭和40年〉5月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。音楽グループDREAMS COME TRUE(ドリカム)のボーカルで、同グループの楽曲の全ての作詞と数多くの作曲を手がけている。北海道中川郡池田町出身。血液型A型。 池田町立池田小学校、同池田中学校卒業。小学時代はサッカー部に所属していた。その後、北海道帯広柏葉高等学校に進学。高校時代はポピュラー音楽研究部に所属し、「ウィザード」というバンドで自主コンサートを開いて音楽活動をしていた。 中村正人と初めて会った時、彼に「うれしはずかし朝帰り」「週に一度の恋人」を地下鉄の中で歌って聴かせたという。
南部 昌江(なんぶ まさえ、1960年 - )は日本のキーボ… 南部 昌江(なんぶ まさえ、1960年 - )は日本のキーボーディスト、作曲家、セッション・ミュージシャンである。北海道帯広市出身。初期は水沢朱里名義で作・編曲家として活動。 夫はギタリストで同様にセッション・ミュージシャンである松原正樹。1995年発表の「流宇夢サンド'95」以来、アルバムに参加している。 北海道帯広柏葉高等学校卒業。エレクトーン奏者として、全国・世界の大会で入賞を重ねる。後にヤマハ音楽振興会の所属プレイヤーとして活動。 その後水沢朱里名義で作曲家として活動。早見優、原田知世、荻野目洋子等の作曲・編曲、数多くのCMソングを手掛ける。 1989年に夫である松原、春名正治、島健、石川雅春、伊藤広規、佐野聡と「TRIFORCE」を結成。
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよ… 彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよし)、1933年〈昭和8年〉8月5日 - 2022年〈令和4年〉9月16日)は、日本の作曲家。北海道音更町生まれ、帯広市育ち。札幌市在住。 『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。 馬仲買人の父とカフェを経営していた母の間で音更町の父の実家で生まれるも父は3歳時に死去、幼少期は音更の祖父母と過ごすことも多かった。1940年に帯広小学校に入学後、小学5年生時に池田町へ学童疎開。終戦後帯広中学校に戻り手に職をつけるべく帯広商工高等学校土木科(現・帯広柏葉高等学校)に進学し卓球や家でラジオなど電子工作に傾倒する一方、映画館にも通い時代劇や洋画の劇伴音楽に感銘を受ける。
斎藤 幹雄(さいとう みきお)は、コナミデジタルエンタテイン… 斎藤 幹雄(さいとう みきお)は、コナミデジタルエンタテインメントに所属していた作曲家・ゲームデザイナー・プロデューサーである。名古屋国際工科専門職大学工科学部教授。本名は齋藤 幹雄(さいとう みきお)。メタルユーキ(Metal Yuhki)のニックネームでも知られる。 北海道帯広市出身。北海道帯広柏葉高等学校卒。日本大学理工学部電気工学科卒。 大学卒業後、ゲーム会社のテクモに入社、アーケードゲーム・家庭用ゲームのBGMの作曲家として活躍する。 1991年にコナミ(後のコナミデジタルエンタテインメント)に移籍。1994年に制作に参加した『ときめきメモリアル』の大ヒットにより、その名を広く知られるようになる。