スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
柳橋 仁機(やなぎはし ひろき、1975年7月6日 - )は… 柳橋 仁機(やなぎはし ひろき、1975年7月6日 - )は、日本の経営者。カオナビ代表取締役創業者・社長CEO。北海道釧路市出身、東京理科大学大学院基礎工学研究科電子応用工学専攻 修士課程修了。 北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校、東京理科大学を卒業 2000年(平成12年)3月に東京理科大学大学院基礎工学研究科電子応用工学専攻 修士課程修了。在学中からインターネットビジネスやITに興味をもっており、大学の同級生が推薦で仕事を決める中、ひとりだけ企業を選ぶために就職活動を始めた。その中で出会ったのが、就職・転職活動支援スクール「我究館」の先輩にあたるアイスタイル社長の吉松徹郎。インターネットビジネスで起業する吉松のもとにアルバイトをした。
山﨑 雅生(やまざき まさき、1974年〈昭和49年〉11月… 山﨑 雅生(やまざき まさき、1974年〈昭和49年〉11月29日 - )は、日本の実業家、国土交通官僚。北海道観光振興監や、国土交通省大臣官房参事官を経て、北海道エアポート代表取締役社長、北海道観光機構顧問。 北海道釧路市双葉町出身。北海道釧路湖陵高等学校理数科を経て、1999年(平成11年)3月に一橋大学商学部卒業後、航空行政に携わろうと考え、同年4月運輸省入省。 入省後は運輸政策局、鉄道局、都市局、海事局などを経て、2005年(平成17年)7月国土交通省北海道運輸局企画振興部企画課長。同局企画観光部交通企画課長を経て、2007年(平成19年)7月国土交通省自動車交通局総務課企画室課長補佐。
石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )… 石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )は、日本の実業家。DCMホールディングス代表取締役社長執行役員兼COO・DCM代表取締役社長。北海道釧路市出身。 ホーマックの創業家である石黒靖尋の長男として北海道釧路市に生まれる。 2011年、ホーマック社長昇格。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 20… 木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社。 1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。2016年6月に相談役に就任。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった。 社外では全国警備業協会4代目会長、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した。
上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 20… 上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 2003年8月21日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 北海道出身。1946年に北海道庁立釧路中学校を卒業し、同年に北海タイムス社に入社。1942年に統合により、北海道新聞社に転じ、1964年12月に取締役に就任し、1966年に常務を経て、1968年に社長に就任。1979年1月に会長に就任し、1981年には相談役に就任。 1986年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年8月21日脳梗塞のために死去。88歳没。