スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩佐 勇研(いわさ ゆうけん、1999年7月2日 - )は、… 岩佐 勇研(いわさ ゆうけん、1999年7月2日 - )は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。ノルディックスキージュニア世界選手権スキージャンプ団体銅メダリストである。姉は、同じくスキージャンプ選手の岩佐明香。 5歳で姉と一緒に競技を始めた。出身校は札幌市立藤野小学校、札幌市立藤野中学校、札幌日本大学高等学校。中学2、3年時に全国中学校スキー大会を連覇する。 2014年9月にルシュノヴで開かれたFISカップ(英語版)が初の海外遠征となり、2日間共に30位以内を獲得した。2015年は1月にコンチネンタルカップ札幌大会に初出場し、25位でポイントを獲得した。ノルディックスキージュニア世界選手権ルシュノヴ大会に出場し、スキージャンプ男子個人で18位、 団体で銅メダルを獲得した。
大井 栞(おおい しほり、 1999年6月29日 -)は、北… 大井 栞(おおい しほり、 1999年6月29日 -)は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。札幌日本大学高等学校卒業。 国際大会デビューは2014年夏のFISカップ(英語版)である。 初出場は7月12、13日に開催されたフィラッハ大会で、 9位を獲得。 ワールドカップ2014/15シーズン(英語版)の内、国内開催の札幌 、山形の大会に出場するも、一回目のみしか跳べず、ワールドカップデビュー戦の札幌では31位、 一週間後の山形では44位に終わり、ワールドカップでのポイント獲得はならなかった。次に出場したアルマトイで開催のノルディックスキージュニア世界選手権(ドイツ語版)では、個人ノーマルヒルで19位。
岩佐 明香 (いわさ はるか、1996年4月12日 - )は… 岩佐 明香 (いわさ はるか、1996年4月12日 - )は、札幌市出身のスキージャンプ選手である。弟は岩佐勇研。札幌日本大学高等学校、日本大学 を経て、大林組スキー部に所属。 2011年3月9日の蔵王でコンチネンタルカップに初出場、29位に終わる。2013年9月28日から29日にルーマニアのルシュノフで開かれたFISカップ(英語版)では初日の3位から、翌日は優勝を決めた。 2014年1月のワールドカップジャンプ札幌大会では予選を通過できなかったが、翌週の蔵王でのワールドカップでは42位を記録した。ワールドカップの初ポイントは、2017年札幌大会1日目で獲得した。 ヴァル・ディ・フィエンメで開催されたジュニア世界選手権2014(ドイツ語版)では個人ノーマルヒルで4位獲得とともに、 山田優梨菜、伊藤有希、髙梨沙羅のチームで団体優勝をかざった。
渡部 陸太(わたなべ りくた、1995年7月9日 - )は、… 渡部 陸太(わたなべ りくた、1995年7月9日 - )は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。東京美装グループスキー部に所属する。 自宅がジャンプ台に近かったため、大倉山小学校よりスキージャンプを始める。 宮の森中学校より札幌日大高校に進学、高校3年時の2013/14シーズンからジュニア指定強化選手となる。この年のFISカップルシュノヴ大会に出場し、第1戦19位、第2戦5位でFISポイントを獲得、翌年1月のコンチネンタルカップ札幌大会に出場するが、ポイントを獲得できなかった。 2014年4月、日本大学に入学する。2014/15シーズンはコンチネンタルカップ札幌大会を含む4戦に出場するが、いずれもポイントを獲得できなかった。
佐藤 幸椰(さとう ゆきや、1995年6月19日 - )は、… 佐藤 幸椰(さとう ゆきや、1995年6月19日 - )は、北海道石狩市出身のスキージャンプ選手である。札幌日本大学高等学校を経て雪印メグミルクスキー部所属。 高校時代は全国高等学校スキー大会3連覇や、宮様スキー大会2年連続完全制覇など多くの記録を達成し、2014年4月に雪印メグミルクに入社した。 ワールドカップデビューは2015年1月23日の大倉山ジャンプ競技場で行われた札幌大会で、39位だった。翌日は43位だった。同年のジュニア世界選手権では個人戦4位、団体戦6位となった。 2015/16シーズンは、ニジニ・タギル大会で初めてワールドカップ遠征組に選ばれた。 2017/18シーズンは、ニジニ・タギル大会からワールドカップ遠征組入りし、2月のヴィリンゲン・ファイブ(ヴィリンゲンでの予選と本戦5回のジャンプの合計得点を競う大会)以降は遠征組に定着した。
渡部 弘晃(わたなべ ひろあき、1991年9月18日 - )… 渡部 弘晃(わたなべ ひろあき、1991年9月18日 - )は、北海道岩見沢市出身の元スキージャンプ選手である。東京美装グループスキー部に所属した。 幼馴染がジャンプをしていたのがきっかけで、岩見沢第一小学校より当時隣町であった栗沢町(現・岩見沢市)の美流渡ジャンプ少年団に所属しスキージャンプを始める。 岩見沢緑中学3年時の2006/07シーズンからジュニア指定強化選手となる。雪印杯ジュニア組および宮様スキー大会ラージヒル少年組を優勝する。FISカップを兼ねた山形市長杯に出場し、27位でFISポイントを獲得する。 2007年4月、札幌日大高校に入学する。2008/09シーズンはコンチネンタルカップを兼ねるHTBカップ国際スキージャンプ競技大会に出場し、19位でポイントを獲得。
竹田 歩佳(たけだ あゆか、1990年1月23日 - )は、… 竹田 歩佳(たけだ あゆか、1990年1月23日 - )は、北海道出身の元女子スキージャンプ選手である。札幌日本大学高校卒業。デンソー北海道勤務。 2018年3月にジャンプスキー競技を引退。
安川 友貴(やすかわ ゆうき、1984年3月28日 - )は… 安川 友貴(やすかわ ゆうき、1984年3月28日 - )は北海道出身のスキージャンプ選手及び指導者。身長178cm 体重63kg。 札幌市立琴似小学校-札幌市立琴似中学校-札幌日大高校-日本大学-新潟県立新井高等学校教諭、全日本スキー連盟スキージャンプナショナルジュニアチームコーチ 札幌日大高校時代に若手のホープとして全日本ジュニア代表入り。2001年12月から翌年1月にかけて海外遠征に参加してスキージャンプ・コンチネンタルカップに出場。12月21日のプレダッツォ(イタリア)ではスキージャンプ・ワールドカップに出場した(50位)。 2002年ノルディックスキージュニア世界選手権では20位。インターハイでは2年連続3位となった。
渡瀬 雄太(わたせ ゆうた、1982年8月8日 - )は、日… 渡瀬 雄太(わたせ ゆうた、1982年8月8日 - )は、日本、札幌市出身のスキージャンプ選手。身長178cm 体重63kg。2014年ソチオリンピック日本代表。 札幌日大高時代に若手のホープとして日本代表入り、日本のジャンプ界を代表する選手と期待された。雪印入部後は伸び悩んでいたが、2007年頃から復調を見せた。2016年3月に現役引退。 元日本代表で、女子全日本チーム監督の渡瀬弥太郎(元雪印乳業)は実父、女子日本代表の渡瀬あゆみ(サッポロスキッド)は実妹。
重松 健太郎(しげまつ けんたろう、1979年1月3日 - … 重松 健太郎(しげまつ けんたろう、1979年1月3日 - )は北海道出身の元スキージャンプ選手。吉岡和也や山田いずみと同学年。 札幌市立新陵中学校-札幌日大高校-日本大学-東京美装。2001年ユニバーシアード代表。2006/2007シーズン終了後現役引退。
金子 祐介(かねこ ゆうすけ、1976年4月18日 - )は… 金子 祐介(かねこ ゆうすけ、1976年4月18日 - )は、北海道札幌市出身の元スキージャンプ選手、指導者。2005年から2012年まで札幌大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード(145.0m)を保持していた。 札幌市立盤渓小学校、札幌市立宮の森中学校、札幌日大高、日本大学を経て現在東京美装興業所属。父親の金子茂も元ジャンパーである。 2005年3月25日に札幌大倉山で行われた伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会で2本目に145.0mという驚異的バッケンレコード(ジャンプ台記録)を記録、2002年に原田雅彦が記録したそれまでの記録141.0mを4m更新した。なお、本人曰く目が悪くて暗い着地斜面が見えず、気がついたら一番下の笹(=距離の目安を示すためにランディングバーンに笹を一列に挿して線を作っている)を越えて飛んでいたとのこと。
笠間 法考(かさま のりたか、1974年3月21日 - )は… 笠間 法考(かさま のりたか、1974年3月21日 - )は、北海道上川町出身の元スキージャンプ選手。現在は上川町議会副議長。 上川ジャンプ少年団でジャンプを始め、上川町立上川中学校―札幌日大高校―日本大学―東京美装で競技を続ける。 2000年3月、26歳で引退。地元上川町で父の経営する建設会社に入社。その傍ら上川ジャンプ少年団のコーチとして勢藤優花を指導。 2008年4月、上川町議会議員選挙に無所属で立候補しトップ当選。同議会中最年少の議員である。 2006年3月4日、道路交通法違反(信号無視、酒気帯び運転)で現行犯逮捕された。
吹田 幸隆(ふきた ゆきたか、1972年8月28日 - )は… 吹田 幸隆(ふきた ゆきたか、1972年8月28日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌市宮の丘小学校―宮の丘中学校 - 札幌日大高 - 日本大学 - 北海道拓殖銀行 - 雪印乳業 10歳のときジャンプ競技を始める。同い年に葛西紀明がおり、影に隠れた形であったが着実に実力を蓄え、大学時代には全日本学生のタイトルやユニバーシアードで2大会連続の優勝を経験。1995年たくぎんに入社するが翌1996年同部の廃部に伴い雪印乳業に移籍。1998年の長野オリンピックにはテストジャンパーとして参加した。2000年3月9日の蔵王国際ジャンプNHK杯では当時のパッケンレコードを記録するなど長距離ジャンパーとして活躍。