スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 にいな(さとう にいな、2006年10月15日 - )… 佐藤 にいな(さとう にいな、2006年10月15日 - )は、岩手県盛岡市出身の女子サッカー選手。マイナビ仙台レディース所属。ポジションはミッドフィールダー。 中学時代よりマイナビ仙台レディースの下部組織に6年間所属して、ユースチーム在籍時の2024年8月に、トップチームに登録された。 2024年9月3日、2025年2月からトップチーム昇格することが内定。同年10月9日、2024-25 WEリーグカップのアルビレックス新潟レディース戦でデビューした。 2025年2月、マイナビ仙台レディースに正式加入。
高橋 勇利也(たかはし ゆりや、1999年3月24日 - )… 高橋 勇利也(たかはし ゆりや、1999年3月24日 - )は、宮城県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 Jリーグ・いわきFC所属。 実父は元サッカー選手の高橋範夫。 神奈川大学から2021年にザスパクサツ群馬に加入。 2026年、いわきFCに完全移籍。
橋本 峻輝 (はしもと しゅんき、1998年11月1日 - … 橋本 峻輝 (はしもと しゅんき、1998年11月1日 - ) は、宮城県登米市出身のサッカー選手。 ポジションは、フォワード、ディフェンダー。中国サッカーリーグ・ベルガロッソいわみ所属。 ベガルタ仙台の育成組織でプレーしていた。東北高等学校に進学。高校卒業後、国士舘大学に進学した。 2021年1月27日、JFLに所属しているMIOびわこ滋賀(現・レイラック滋賀)に加入。 2022年11月21日、チームを退団することが発表された。 2022年12月16日にJFL・高知ユナイテッドSCに加入した。 2024年12月12日、チームを退団することを発表された。 2025年1月20日に、中国サッカーリーグ・ベルガロッソいわみに加入した。
嶺岸 佳介(みねぎし けいすけ、1991年9月12日 - )… 嶺岸 佳介(みねぎし けいすけ、1991年9月12日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 ベガルタ仙台ジュニアユース出身で、小学校6年から中学校3年まで各ナショナルトレセンに選出。進学した東北高校では主将を務めた。 国士舘大学を経て、2014年よりツエーゲン金沢へ入団。2017年シーズン末に契約期間の満了により退団。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。 2018年、アスルクラロ沼津へ完全移籍。 2018年12月、現役引退とベガルタ仙台スクールコーチ就任が発表された。
今野 泰幸(こんの やすゆき、1983年1月25日 - )は… 今野 泰幸(こんの やすゆき、1983年1月25日 - )は、宮城県仙台市太白区出身のプロサッカー選手。関東サッカーリーグ・南葛SC所属。ポジションはミッドフィールダー(守備的MF)、ディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。元日本代表。 小学校1年時からサッカーを始めた。サッカー強豪校の東北高等学校には、スポーツ特待生に入れず 一般受験で進学したが ここで頭角を現し宮城県選抜 に選ばれ富山国体への出場、東北高では全国選手権への出場を経験。ナショナルトレセンやユース代表候補合宿への参加もあったが、プロクラブからの勧誘の対象にはならず、卒業後は地元のソニー仙台への加入が内定していた。 しかし、コンサドーレ札幌に練習参加する機会を得て、コンサドーレ監督の岡田武史の注目するところとなり、同クラブと契約。
平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は… 平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は、宮城県柴田郡柴田町出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校から1993年に横浜マリノスに加入。1999年はモンテディオ山形、2000年はベガルタ仙台にそれぞれ期限付き移籍。2001年は横浜F・マリノスに復帰。 2002年、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、2003年より完全移籍。 2004年6月にアルビレックス新潟に加入。同年限りで契約満了、2005年からはJFLのFCホリコシ、ソニー仙台でプレー。 2007年をもって現役を引退して、2008年から日本サッカー協会に職員として勤務。
渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )… 渡辺 由一(わたなべ よしいち、1954年4月5日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校、仙台大学を経て、東洋工業に所属した。1978年には古田篤良、小原秀男、山出実、中野重富、安原真一らとともに天皇杯決勝進出に貢献。 日本代表としては、1979年のジャパンカップを始め国際Aマッチ6試合に出場し1得点を記録している。