スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29… 山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。秋田県能代市出身、兵庫県西宮市在住。 現役時代はNPBの阪急ブレーブス(パシフィック・リーグ)で1969年から1988年までプレーし、12年連続開幕投手を務めるなどエースとして活躍した。通算654試合登板、3865投球回、284勝166敗、防御率3.18、2058奪三振を記録、チームの8回のリーグ優勝に貢献、特に1975年・1976年・1977年には3年連続の日本シリーズ優勝を経験している。通算284勝はNPBのアンダースロー投手としては最多で、球界関係者からは史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 202… 大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 2024年7月12日)は、秋田県能代市出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田県立能代高等学校で野球部に入り、厳しい練習を耐え抜いて2年生から試合に出るようになった当初は一塁手を務めていた。2年生夏の全国高等学校野球選手権西奥羽大会3回戦(対秋田県立金足農業高等学校)では、同点の9回裏2死満塁の場面で、三塁手の山田久志が自分の前に来たゴロを大沢のいる一塁に悪送球してサヨナラ負けを喫する。大会後に大沢は捕手への転向を指示され、同じく投手への転向を指示された山田とバッテリーを組んだ。新チームに捕手が不在だったことから、肩の強い部員が本塁からの二塁送球を試された結果指名されたという。
簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は… 簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。 1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。