スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
盛實 海翔(もりざね かいと、1997年8月26日 - )は… 盛實 海翔(もりざね かいと、1997年8月26日 - )は、埼玉県出身のバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。身長186cm、体重78kg。B.LEAGUE・レバンガ北海道に所属している。 上尾市立大石中学校から秋田県立能代工業高等学校を経て専修大学に進学し、在学中の2018年12月、サンロッカーズ渋谷に特別指定選手登録され、卒業後にプロ契約。 背番号は大学では34を付けているが、渋谷ではライアン・ケリーが付けているため44となる。 2024年6月、レバンガ北海道に移籍。
鍋谷 暁(なべや あかつき、1994年(平成6年)9月5日 … 鍋谷 暁(なべや あかつき、1994年(平成6年)9月5日 - )は、日本の政治家。秋田県能代市長(1期)。元能代市議会議員(1期)。 秋田県能代市出身。能代市立向能代小学校、能代市立東雲中学校、秋田県立能代高等学校を経て、国際教養大学国際教養学部を卒業。 DOWAホールディングス株式会社を経て、参議院議員であった中泉松司の秘書に就任したが、父親の死去に伴い、2019年になべや製麺株式会社の代表取締役社長に就任。 2022年4月17日投開票の能代市議会議員選挙に立候補し、当選(1期、市長選挙への立候補に伴い2026年4月12日付けで失職)。1期目の在任中に、任期満了に伴う能代市長選挙に立候補。元県議会議員との一騎打ちの結果、初当選を果たした。
幸坂 理加(こうさか りか、1988年5月13日 - )は、… 幸坂 理加(こうさか りか、1988年5月13日 - )は、FIRST AGENTに所属するフリーアナウンサー、元秋田放送(ABS)アナウンサー。 秋田県能代市出身。血液型はO型、身長は160cm。秋田県立能代高等学校、法政大学経済学部国際経済学科卒業後、2011年ABSにアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーに八重樫葵がいる。ABSは2011年度のアナウンサー採用は1名を予定していたが追加で採用された、と本人が後述している。入社後は、記者とテレビやラジオ番組のディレクターを兼務し、パーソナリティを務めるラジオの収録番組で、収録後の音源を放送用に自らも編集した。『ABS news every.』(テレビ)で放送された「ヤン坊マー坊天気予報」の気象キャスターを2012年4月2日から2016年11月4日まで務め、2016年10月31日から2018年12月28日までメインキャスターを務めた。
大村 小町(おおむら こまち、1978年10月18日 - )… 大村 小町(おおむら こまち、1978年10月18日 - )は、日本のお笑い芸人。女性のピン芸人。 秋田県能代市出身。株式会社ミューズ所属。 1978年、秋田県能代市富町に生まれる。 秋田県立能代高等学校卒業、福島大学進学。最初は教員を目指していた。しかし教員としての自分の姿をイメージできなくなり、大学は2年の秋で中退、友人を頼って上京。神奈川県内のホテルに就職して配膳の仕事に就いていた。 テレビでたまたま見たテツandトモに感動して尊敬し、「一目会いたい」との思いで芸人養成所に入り、芸能活動をスタート。 かつてはニチエンプロダクションに所属、この当時は本名で活動していた。その後芸名を「小町」としてフリーでの活動を経て、2008年5月よりアミー・パークに所属。
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
信太 光郎(しだ みつお、1969年 - )は、哲学研究者。… 信太 光郎(しだ みつお、1969年 - )は、哲学研究者。東北学院大学教授。 秋田県出身。秋田県立能代高等学校卒、1992年東京大学理学部人類学科卒、1994年同大学院理学系研究科人類学専攻修士課程修了、2009年東北大学大学院文学研究科文化科学専攻博士課程後期3年課程修了、「ハイデガー思想における生命論的思考の解明 死すべきものの自由をめぐって」で文学博士。東北学院大学教養学部准教授、言語文化研究科教授。
山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )… 山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )は、日本の元プロボクサー。秋田県秋田市出身。二松学舎大学附属高等学校、高千穂大学卒業。第21代日本スーパーライト級王者。ヨネクラボクシングジム所属。 中学時には器械体操で秋田県個人総合優勝、東北大会、全国大会にも出場する。県内の秋田県立能代高等学校に入学するも1年で退学。その後上京し、二松学舎大学附属高等学校に入学する。同校のOBには元WBC世界フライ級王者、小林光二がいる。 時を同じくしてヨネクラボクシングジムに入門。体操競技をやっていたためか抜群のパワーとスピードを持ち合わせ、ヨネクラジムの次代のチャンピオンと言われていた。本人は、「パンチ力とスピードは浜田剛史さんより上」と豪語していた。
宮城 伸一郎(1955年12月17日 - )は、東京都出身の… 宮城 伸一郎(1955年12月17日 - )は、東京都出身のベーシスト。チューリップのメンバー。 1975年、チューリップの弟バンドとして、チューリップリーダー財津和夫がプロデュースしたフォーク・グループがむがむに、ベーシストとしてオーディション合格。3枚目のシングル、『青い空はいらない』でデビュー。がむがむ解散後、ARBに加入するも1979年、メンバーチェンジ直前のチューリップツアーに参加。その後、チューリップに正式加入し1989年の一時解散に加えて1997年の再結成後から現在に至り一貫してチューリップのベーシスト。 2006年2月、秋田県立能代高等学校の先輩の松尾一彦と、ジョイント・コンサートを開催。
松尾 一彦(まつお かずひこ、本名同じ、1954年8月7日 … 松尾 一彦(まつお かずひこ、本名同じ、1954年8月7日 - )は、日本のシンガーソングライター。オフコースの元メンバー(主にギター、ハーモニカ、キーボード、ボーカル、コーラス担当)。身長165cm。血液型はA型。 1954年8月7日、秋田県山本郡八森町(現:八峰町)生まれ。能代高校進学。 高校3年生の時に大間ジローと出会い、大間らとともにロックバンド“ドナルドダック”を結成、3月末に東京で行われたロック・コンテストに出場、わずかな練習期間でコンサート当日を迎えたものの、2位に入賞。プロダクションからの誘いはなかったものの、主催者だったキャロルの事務所を連絡先として活動を開始する。1973年夏、キャロルの事務所から独立したスタッフが設立したプロダクション“アーサー・プロモーション”と契約、バンド名を“ザ・ジャネット”と改名し、芸名を「松尾ジュン」とする。
渡辺 博栄(わたなべ ひろひで、1954年7月21日 - )… 渡辺 博栄(わたなべ ひろひで、1954年7月21日 - )は、気象予報士。NHKの気象情報番組に数多く出演していた。 秋田県三種町出身。秋田県立能代高等学校卒業。1973年、財団法人(現:一般財団法人)日本気象協会入社。民放のローカル番組やNHKラジオへの出演を経て、1992年にNHKモーニングワイド・サンデーの気象キャスターに起用され、NHKニュースおはよう日本や正午前の気象情報のキャスターを長期にわたり務めた。この間、1995年2月に気象予報士に合格。 長らく日曜8:55(→8:57)の気象情報担当を務めていたことから、直前の「週刊こどもニュース」に呼ばれ簡単に解説したことがある。これがきっかけか、1999年から2003年にかけては同番組で「お天気おじさん」を担った。
簾内 敬司(すのうち けいじ、1951年4月24日 - 20… 簾内 敬司(すのうち けいじ、1951年4月24日 - 2016年7月9日)は、日本の文筆家、作家。 秋田県藤里町生まれ。秋田県立能代高等学校卒業。県北の白神山麓の二ツ井町に在住。1975年より1988年までこの地で秋田書房を経営する。80年代後半より小説も書き始める。2001年『菅江真澄みちのく漂流』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。
西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建… 西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。西方設計代表。 秋田県生まれ。日本における高断熱・高気密住宅の先駆け、第一人者として有名で「断熱の神様」と呼ばれる。
浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - … 浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - )は、日本の美術史研究家。特に浮世絵を独学で学び、浮世絵考証研究の第一人者とうたわれる。 秋田県能代市生まれ。秋田県立能代高等学校、立命館大学理工学部数学物理学科卒業。在学中は古美術研究会の会長を務めた。上京して築地市場でアルバイトをしながら日本浮世絵協会(現・国際浮世絵学会)で活動。通信教育で学芸員の資格をとり、34歳で千葉市教育委員会の学芸員となる。2007年、「初期浮世絵」で博士(哲学)(学習院大学)。千葉市美術館学芸課長を経て、財団法人大和文華館館長、2013年6月からはあべのハルカス美術館館長も兼任。 2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、浮世絵考証を担当した。
大渕 憲一(おおぶち けんいち、1950年4月4日 - )は… 大渕 憲一(おおぶち けんいち、1950年4月4日 - )は、日本の社会心理学者。東北大学名誉教授、放送大学宮城学習センター所長。専門分野は人間の攻撃性、葛藤解決、紛争解決、社会的公正、犯罪心理学である。近年は公共事業政策に関する研究など、社会的還元性を強く意識した研究を行っている。秋田県出身。 ※氏名の英語表記はOhbuchi Ken-ichiに統一されている。 1969年秋田県立能代高等学校卒業、1973年東北大学文学部哲学科卒業、1977年同大学院文学研究科博士課程中退。1996年 「攻撃性の社会心理学」で東北大学より文学博士の学位を取得。1977年大阪教育大学教育学部助手、1979年講師、1980年助教授、1988年東北大学文学部社会学科社会心理学講座助教授、1997年教授、2000年文学研究科教授、2011年から2013年文学部長・文学研究科長、2016年定年退任、名誉教授。
山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29… 山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。秋田県能代市出身、兵庫県西宮市在住。 現役時代はNPBの阪急ブレーブス(パシフィック・リーグ)で1969年から1988年までプレーし、12年連続開幕投手を務めるなどエースとして活躍した。通算654試合登板、3865投球回、284勝166敗、防御率3.18、2058奪三振を記録、チームの8回のリーグ優勝に貢献、特に1975年・1976年・1977年には3年連続の日本シリーズ優勝を経験している。通算284勝はNPBのアンダースロー投手としては最多で、球界関係者からは史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 202… 大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 2024年7月12日)は、秋田県能代市出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田県立能代高等学校で野球部に入り、厳しい練習を耐え抜いて2年生から試合に出るようになった当初は一塁手を務めていた。2年生夏の全国高等学校野球選手権西奥羽大会3回戦(対秋田県立金足農業高等学校)では、同点の9回裏2死満塁の場面で、三塁手の山田久志が自分の前に来たゴロを大沢のいる一塁に悪送球してサヨナラ負けを喫する。大会後に大沢は捕手への転向を指示され、同じく投手への転向を指示された山田とバッテリーを組んだ。新チームに捕手が不在だったことから、肩の強い部員が本塁からの二塁送球を試された結果指名されたという。
平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のド… 平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のドキュメンタリージャーナリスト。
簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は… 簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。 1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。
髙松 和夫(たかまつ かずお、1942年4月10日 - )は… 髙松 和夫(たかまつ かずお、1942年4月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一国会対策委員会副委員長・秋田県総支部連合会代表、秋田県議会議員(5期)などを歴任した。 秋田県山本郡山本町(現・三種町)出身。秋田県立能代高等学校卒業後、中央大学に進学。卒業後は同大学院社会学専攻修士課程を修了した。経営コンサルタントを務めていた。 1991年秋田県議会議員選挙に、当時の山本郡選挙区(現在は、区割り変更により、「能代市・山本郡選挙区」)より出馬し、斉藤滋宣(現・能代市長)と共に初当選。当時は自民党員であった。自民党離党後の1999年の県議選で3選を目指すも、参議院議員に鞍替えした斉藤の後継候補の武田英文(旧二ツ井町地盤)、および現在の八峰町を地盤とする金谷信栄の両自民党候補に阻まれ落選(以降、山本郡の南部3町→現在の三種町を地盤とする県議は区割り変更された現在まで出ていない)。
菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - … 菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - )は、日本の元バレーボール選手、元全日本選手、指導者。 全日本ジュニア男子監督、ケニア女子代表監督、日立佐和リヴァーレ監督、シニアアドバイザーなど国内外で監督を歴任。 秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校を経て、1957年、東洋レーヨンに入社。東レ九鱗会の選手として活躍した。 1960年に全日本に初選出され、1964年東京五輪に出場し銅メダルを獲得した。 1968年に東レ九鱗会の監督に就任。1978年に全日本ジュニア男子監督に就任し、中垣内祐一、大竹秀之ら1990年代の全日本を牽引してきたバレーボール選手を育てた。 1995年10月にケニア女子代表監督に就任、同年ワールドカップ(11月開幕)ではケニアチームの指揮を執った。
安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 202… 安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 2022年1月14日)は、俳人。秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校、日本歯科大学卒業。 1954年上京、1969年より4年間飛騨高山に住んだのち秋田に帰郷。10代のとき寺山修司編集の「牧羊神」に参加。1958年ころから永田耕衣の「琴座」に投句、のち同人。また1964年より高柳重信の「俳句評論」同人。1968年に加藤郁乎、大岡頌司らと「ユニコーン」を創刊するが、4号で廃刊。1984年「騎」創刊に参加。歯科医師のかたわら句作を行った。しばしばエロティックなイメージを伴う土俗的・秘教的な句風で、俳壇からも距離を置いて句作を続けた。代表句に「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」など。
小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 -… 小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 - )は、体操競技の元オリンピック選手、元鹿屋体育大学教授。秋田県能代市出身。旧制秋田県立能代中学校(現在の秋田県立能代高等学校)、東京教育大学体育学部、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。現役時代は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれたことで知られる。全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝を誇り、オリンピックでも4大会連続で出場し、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。 東京教育大学では久保田正躬と学生寮で相部屋だった。同大学1年の時に高校教師だった父親を亡くす。同大学3年の時に1952年ヘルシンキオリンピックに出場し跳馬で体操競技では日本初となる銅メダルを獲得。
鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 … 鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 - 2010年(平成22年)4月4日)は、元体操選手。 秋田県能代市出身。能代市立渟城第二小学校、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、秋田県立能代高等学校と改称)、東京教育大学(後に筑波大学と改称)を経て、慶應義塾大学法学部政治学科に入学する。能代中学校時代、第1回国民体育大会において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の小野喬)。東京教育大学在学中、第3回及び第4回全日本学生体操競技選手権大会の個人総合選手権において優勝。第5回国民体育大会、第8回国民体育大会において一般男子団体優勝。慶應義塾大学在学中、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、団体総合で5位入賞を果たした。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
山崎 五郎(やまざき ごろう、1913年(大正2年)9月8日… 山崎 五郎(やまざき ごろう、1913年(大正2年)9月8日 - 1976年(昭和51年)4月6日)は、昭和期の労働官僚、政治家。参議院議員(2期)。 秋田県山本郡上岩川村(琴丘町上岩川を経て現三種町上岩川)で生まれる。1932年(昭和7年)秋田県立能代中学校(現秋田県立能代高等学校)を卒業した。 秋田県庁に入庁。内務省に転じ、戦後は厚生省労政局勤務、労働省労政局労働組合課長、公共企業体等労働委員会事務局長、中央労働委員会事務局長などを歴任した。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から自由民主党公認で出馬して落選。1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で秋田県地方区から自民党公認で出馬して初当選。
秋田県八峰町生まれ。秋田県立能代高等学校卒業。千葉大学工学部… 秋田県八峰町生まれ。秋田県立能代高等学校卒業。千葉大学工学部デザイン学科卒業。2012年、電通入社。 秋田の田舎の公務員一家に生まれる。大学では工業デザインを専攻。 電通入社後、デジタルマーケティングやストラテジー領域を経て現在のクリエイティブ職へ。 話題となったテレビCMやデジタルキャンペーンを数多く手がけ、国内外で数々の賞を受賞。 2019年、孫の服を着て一夜にしてインスタグラマーとなった秋田の老人「シルバーテツヤ」の”生みの孫”としても知られる。
高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニュ… 高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニューヨーク総領事や、駐イラン特命全権大使、駐フィンランド特命全権大使を務めた。 秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)出身。旧制秋田県立能代中学校(現秋田県立能代高等学校)、旧制東京商科大学(現一橋大学)を経て、1943年外務省入省。 バンコク、ワシントンでの大使館勤務を経て、科学技術庁原子力局国際協力課長や、外務省アメリカ局安全保障課長、駐連合王国大使館公使、駐クウェート特命全権大使、1977年ニューヨーク総領事、1981年駐イラン特命全権大使、1983年北海道担当特命全権大使(駐道大使)を歴任し、1984年から1987年まで駐フィンランド特命全権大使を務め、マウノ・コイヴィスト第9代フィンランド大統領の来日の際には、昭和天皇への進講を行うなどした。