三ツ間 卓也(みつま たくや、1992年7月22日 - )は… 三ツ間 卓也(みつま たくや、1992年7月22日 - )は、日本の農業起業家、元プロ野球選手(投手、右投右打)、YouTuber。群馬県群馬郡榛名町(現:高崎市)出身。 榛名町立榛名第六小学校(現:高崎市立久留馬小学校)在学中に軟式野球を始め、榛名町立榛名中学校(現:高崎市立榛名中学校)への進学後に高崎ジャイアンツへ所属。健大高崎高校在学中は、春夏ともに甲子園に出場できず、3年間を通じて控え投手だった。 高千穂大学への進学後には、1年の春から東京新大学野球の2部リーグ戦に登板。1年秋と3年秋の2部リーグ戦で、最優秀防御率のタイトルを獲得した。チームが1部に加わっていた3年春と4年の春・秋には、リーグ戦通算21試合の登板で3勝11敗を記録。
菅原 千瑛 (すがわら ひろえ、1991年12月2日 - )… 菅原 千瑛 (すがわら ひろえ、1991年12月2日 - ) は、競技麻雀のプロ雀士。埼玉県川口市出身。 日本プロ麻雀連盟28期生。同団体内での段位は四段。2024-25シーズンまでMリーグ・BEAST X所属。 中学生の頃に漫画『哲也-雀聖と呼ばれた男』を読んで麻雀に興味を持ち、3歳年上の兄にルールを教わり麻雀を始める。モンド王座決定戦を制した荒正義に憧れてプロ雀士を目指すようになり、高千穂大学商学部在学中に日本プロ麻雀連盟のプロテストを受け、一度は不合格となるが同連盟の女流勉強会に参加、2012年にプロテストに合格し、プロデビュー。 2014年、竹書房が主催するタイトル戦「麻雀最強戦2014」の最強戦ガール東日本担当に選ばれたほか、同大会の放送番組(ニコニコ生放送・フジテレビNEXTにて放送)のアシスタントも担当した。
戸田 亮(とだ りょう、1988年9月4日 - )は、東京都… 戸田 亮(とだ りょう、1988年9月4日 - )は、東京都中野区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代に、鷺宮スタージョーズで野球を始める。中野区立第八中学校時代に城西シニアに所属したが、控え二塁手に甘んじ、用具係も務めていた。 大成高校への進学後は一塁手や外野手を経験したが、レギュラーの座は獲得できず、公式戦にも代打を中心に5試合出場しただけだった。 高千穂大学への進学を機に投手へ転向すると、1年生の春に、東京新大学野球の2部リーグ戦で3勝0敗、防御率1.01を記録。その後はエースとして、チームの優勝(1部リーグ昇格)に2度貢献した。2部リーグでは、通算で15勝1敗という好成績を残し、1年秋と4年春に最多勝利・最多奪三振・最優秀防御率のタイトルを獲得。
岩間 天嗣(いわま たかつぐ、1983年8月20日 - )は… 岩間 天嗣(いわま たかつぐ、1983年8月20日 - )は、日本の俳優。岐阜県出身。身長179cm。
今井 茂雄(いまい しげお、1980年10月23日 - )は… 今井 茂雄(いまい しげお、1980年10月23日 - )は、日本の俳優・演出家・脚本家・放送作家。 愛称は「シゲヲ」「シゲル」。 東京都江戸川区出身。 関東第一高等学校、高千穂商科大学卒業。 大学に在学中の2002年4月、劇団「浜田山BIGBOX」を主宰。その後、ラジオ番組『木曜Junk さまぁ〜ずの逆にアレだろ』(TBSラジオ)の構成作家として活動をスタート。 2004年に映画『与える男』で、俳優デビューを果たす。 2005年には、舞台『最高に悪い見本』で、演出家としてデビュー。 同年、舞台『まぎれもなく』で初主演。 趣味は幼少時から始めたサッカー。現在も地元の草サッカーチーム『クラブ・ガスコイン』や俳優仲間のフットサルチームに所属している。
鈴木 たろう(すずき たろう、1973年10月4日 - )は… 鈴木 たろう(すずき たろう、1973年10月4日 - )は、競技麻雀のプロ雀士。日本プロ麻雀棋士会に所属したのち、2005年に日本プロ麻雀協会へ移籍後、2020年11月、最高位戦日本プロ麻雀協会に移籍した。茨城県水海道市(現在の常総市)出身。高千穂大学出身。 1997年、日本麻雀棋士会でプロ入り。 2003年、月刊プロ麻雀の連載で小林剛や村上淳とともに、オカルトバスターズを結成。 2003年、トップと16000点差の倍満ツモ条件となったオーラスで四暗刻をツモり、30歳で最強戦に優勝する。 2004年、所属団体のリーグタイトルである愛翔戦で優勝。 2005年、日本プロ麻雀協会へ移籍。 雀王戦B2リーグからのスタートだったが、毎年ストレートでB1、Aリーグへと昇格し、2007年には移籍3年目、Aリーグ1年目で雀王決定戦に出場。
丸山 弘行(まるやま ひろゆき、1970年6月30日 - )… 丸山 弘行(まるやま ひろゆき、1970年6月30日 - )日本の実業家。塩水港精糖株式会社代表取締役社長、太平洋製糖株式会社取締役、関西精糖株式会社取締役。 神奈川県出身。高千穂商科大学(現高千穂大学)卒業。1994年4月塩水港精糖株式会社入社。2013年砂糖事業部副部長。2014年バイオ事業部部長。2015年執行役員バイオ事業部部長。2016年常務執行役員バイオ事業部部長。2017年常務取締役バイオ事業部部長兼新商品事業開発室長。2018年常務取締役事業本部長兼オリゴ事業部長兼新商品事業開発室長。2019年から代表取締役社長就任。2020年太平洋製糖株式会社取締役、関西精糖株式会社取締役就任。
山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )… 山本 義広(やまもと よしひろ、1966年7月26日 - )は、日本の元プロボクサー。秋田県秋田市出身。二松学舎大学附属高等学校、高千穂大学卒業。第21代日本スーパーライト級王者。ヨネクラボクシングジム所属。 中学時には器械体操で秋田県個人総合優勝、東北大会、全国大会にも出場する。県内の秋田県立能代高等学校に入学するも1年で退学。その後上京し、二松学舎大学附属高等学校に入学する。同校のOBには元WBC世界フライ級王者、小林光二がいる。 時を同じくしてヨネクラボクシングジムに入門。体操競技をやっていたためか抜群のパワーとスピードを持ち合わせ、ヨネクラジムの次代のチャンピオンと言われていた。本人は、「パンチ力とスピードは浜田剛史さんより上」と豪語していた。
有働 敦(うどう あつし、1964年4月26日 - )は、日… 有働 敦(うどう あつし、1964年4月26日 - )は、日本の実業家。東邦ホールディングス株式会社代表取締役社長、東邦薬品株式会社取締役。 神奈川県出身。1987年高千穂商科大学商学部卒業、東邦薬品(のちの東邦ホールディングス)入社。2006年東邦薬品営業本部企画推進部長。2009年東邦薬品執行役員営業本部企画推進部長。2012年東邦薬品取締役営業統轄本部CS営業本部長兼医薬営業本部企画推進部長。2013年東邦薬品取締役営業統轄本部医薬営業本部長。2015年東邦薬品常務取締役営業統轄本部長兼医薬営業本部長。2015年東邦ホールディングス執行役員。2016年東邦薬品取締役副社長営業担当、東邦ホールディングス取締役社長室長に昇格。
梶原 徹也(かじわら てつや、1963年〈昭和38年〉9月2… 梶原 徹也(かじわら てつや、1963年〈昭和38年〉9月26日 - )は、福岡県福岡市出身のドラマー、音楽プロデューサー。大分県立大分上野丘高等学校、高千穂商科大学卒業。既婚。通称「梶くん」。 銀行員だった父親の転勤のため、幼少の頃は九州内を転々として小学校2年の時に大阪、中学3年まで兵庫県西宮市、高校の3年間は大分県で過ごす。中学・高校時代は卓球部であった。高千穂商科大学に入学のため上京。 大学時代は学生寮に住み、早稲田大学や明治大学のサークル(軽音楽研究会)などで常に3~4つのバンドを掛け持ちしていた。ライブハウスでもぎりのアルバイトをしていた時にTHE BLUE HEARTSに出会う。初代ドラマーの英竜介の脱退後、甲本ヒロトに電話をしてオーディションを受けた。
志賀 康史(しが やすし、1963年7月14日 - )日本の… 志賀 康史(しが やすし、1963年7月14日 - )日本の実業家。株式会社ウェザーニューズ元専務執行役員兼最高販売責任者。 1986年3月 高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業。1986年4月 東京リコー株式会社入社。1992年3月 株式会社ウェザーニューズ入社。1997年7月 福岡支社支社長。2003年6月 販売グループリーダー。2005年8月 取締役(日本市場統括主責任者)就任。2008年8月 取締役(アジア事業統括主責任者)。2012年6月 取締役(日本販売主責任者)。2012年8月 常務取締役(日本販売主責任者)就任。2013年8月 専務取締役(日本販売主責任者)。2014年5月 専務取締役(販売主責任者(日本・新興国) )。
崎山 一弘(さきやま かずひろ、1963年3月18日 - )… 崎山 一弘(さきやま かずひろ、1963年3月18日 - )は、日本の実業家。株式会社シーボン代表取締役社長。 神奈川県出身。1985年、高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業。大学卒業後、1985年4月株式会社シーボンへ入社する。同年度中に退社し、1985年8月株式会社チサンレストランへ中途入社をする。1990年1月に再度シーボンへ入社し、2003年2月同社執行役員営業本部直販営業部長、2005年6月取締役営業本部直販営業部担当、2013年6月執行役員、2018年6月取締役執行役員営業本部担当、2020年1月専務取締役執行役員事業本部本部長を歴任し、2021年4月1日付けで同社代表取締役社長に就任した。
百武 公親(ひゃくたけ きみちか、1962年(昭和37年)2… 百武 公親(ひゃくたけ きみちか、1962年(昭和37年)2月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。元自由民主党埼玉県支部連合会事務局長。 埼玉県所沢市生まれ。現住所は白岡市小久喜。所沢市立向陽中学校、埼玉県立上尾東高等学校を経て、1984年(昭和59年)、高千穂商科大学 (現在の高千穂大学)商学部卒業。同年、丸広百貨店に就職。1988年1月、自民党埼玉県連に移り、2004年1月、事務局長に就任。 2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロックに自由民主党から単独35位で出馬するも落選。 2005年(平成17年)、第44回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロックに自由民主党から単独39位で出馬するも落選。
橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )… 橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )は、日本の実業家。株式会社フククルフーズ代表取締役社長、高千穂学園評議員。 福岡県久留米市出身。1983年3月高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業、同年4月株式会社若狭薬品入社。同年11月退職。その後、税理士事務所、マンションデベロッパーに勤務し、一般職、課長職、所長代理を務め、株式会社テンガイに経理部長として就職。2007年7月から同社の関連会社だったサイバックの専務取締役に就任。2008年4月25日付けで同社代表取締役社長に就任した。同社は2013年3月に株式会社フククルフーズへ社名変更し、引続き代表取締役社長を務めるが、2021年にフククルフーズは特別清算手続開始決定となる。
佐藤 正(さとう ただし、1959年1月12日 - )は、日… 佐藤 正(さとう ただし、1959年1月12日 - )は、日本の実業家。元JALUX取締役常務執行役員、元JALUXエアポート社長、元JALUX ASIA等海外関連会社社長 1981年3月高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業後、1981年4月日航商事株式会社(現JALUX)入社。 食品企画販売部部長、加工食品部部長を経て、2012年4月JALUXエアポート代表取締役社長に就任する。その後、2014年1月JALUX顧問、2014年6月取締役常務執行役員、2015年4月常務執行役員フーズ・ビバレッジ事業本部長となり、2016年4月執行役員体制では執行役員社長特命事項担当となるが、2016年6月まで取締役を務めた。
岐邑 美沙子(きむら みさこ、1955年9月30日 - )は… 岐邑 美沙子(きむら みさこ、1955年9月30日 - )は、日本の元女優。 東京都出身。本名、金子 美沙子(かねこ みさこ)。 1978年3月、高千穂商科大学卒業。大学生時代にスカウトされたことがきっかけで芸能界入り、1975年、フジテレビの昼ドラマ『人形姉妹』でデビュー。 『暴れん坊将軍』の第1シリーズと第2シリーズでは、め組の辰五郎の妹・おまちの役でレギュラー出演。1990年代に一般の男性と結婚し、引退している。 趣味は読書、野球観戦(1978年当時)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
神山 佐市(かみやま さいち、1954年8月17日 - )は… 神山 佐市(かみやま さいち、1954年8月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。元埼玉県議会議員(3期)。 埼玉県富士見市生まれ。富士見町立富士見台中学校、東京教育大学附属坂戸高等学校を経て、1977年3月、高千穂商科大学商学部卒業。同年3月18日、株式会社埼玉スポーツセンターを設立し、代表取締役社長就任。同年4月21日、有限会社神山代表取締役社長。同年、宅地建物取引士取得。 1999年、埼玉県議会議員選挙。連続3期当選(西6区選出)。 2012年、第46回衆議院議員総選挙で中野清の後継として、埼玉7区に自由民主党から出馬し、初当選。 2014年、第47回衆議院議員総選挙で埼玉7区に自由民主党から出馬し、再選。
小野瀬 由一(おのせ よしかず、昭和27年(1952年) -… 小野瀬 由一(おのせ よしかず、昭和27年(1952年) - )は、日本の経営学者、博士(経営学)(高千穂大学)、経営コンサルタント。山形県鶴岡市出身。 1952年8月 山形県鶴岡市に生れる(本籍:茨城県久慈郡大子町)。 1973年3月~2000年1月 東海大学海洋学部卒業後、海洋環境調査会社勤務、食品業界団体勤務、音楽ビジネス専門学校助教授などを経験。 1988年1月 学校法人産業能率大学学習サービスセンター委嘱講師に就任し、社会人向け通信講座を指導(現職)。 2004年6月 特定非営利活動法人東京ITコーディネータを設立し副理事長に就任し、ITコーディネータ活動を開始(現職)。 2006年3月 高千穂大学大学院経営学研究科博士課程にて、経営学修士及び経営学博士号を取得。
勝浦 二郎(かつうら じろう、1951年12月28日 - )… 勝浦 二郎(かつうら じろう、1951年12月28日 - )は、日本の実業家。元マックスバリュ東北(現イオン東北)株式会社代表取締役社長、イオンベーカリー株式会社代表取締役社長。 1974年3月 高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部商業学科卒業、同年3月ジャスコ株式会社(現イオン株式会社)入社、2000年8月 同社水産商品本部商品部長、2004年3月 株式会社フードサプライジャスコ代表取締役社長に就任、2007年9月 マックスバリュ東北株式会社営業・商品統括本部長を歴任し、2008年5月14日 同社代表取締役に昇格する。2010年3月24日 人事異動により、マイカルカンテボーレ代表取締役社長、イオンベーカリーシステム代表取締役社長に就任。
渋谷 栄一(しぶや えいいち、1951年9月 - )は、日本… 渋谷 栄一(しぶや えいいち、1951年9月 - )は、日本の国文学者。高千穂大学名誉教授。 専門は、中古文学。藤原定家や『源氏物語』注釈について研究。 埼玉県菖蒲町生れ。1970年に埼玉県立不動岡高等学校、1974年に國學院大學文学部文学科卒業、1980年に同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。同年から、高千穂商科大学商学部専任講師、1983年助教授、1990年教授となり、2001年から高千穂大学教養部教授。2007年から経営学部教授。2014年3月退職。2014年4月高千穂大学名誉教授。
青山 節児(あおやま せつじ、1951年〈昭和26年〉5月5… 青山 節児(あおやま せつじ、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本の政治家。元岐阜県中津川市長(3期)。 高山中学校(現中津川市立福岡中学校)、東京都立代々木高等学校卒業。1976年(昭和51年)、高千穂商科大学(現高千穂大学)卒業。1980年(昭和55年)、恵北農協に入組。2011年(平成23年)、東美濃農業協同組合の代表理事専務に就任。 2011年(平成23年)8月26日、岐阜県中津川市の図書館建設計画と汚泥等処理施設の建設計画等に反対する市民団体「なかつがわ一新の会」が、大山耕二市長のリコール(解職請求)署名収集を開始。市長解職の住民投票日が一旦決まるが、大山は11月29日、同年12月22日をもって市長を辞任することを表明。
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023… 樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023年9月15日)は日本の政治家、元町田市議会議員(1期)。障害者運動の社会活動家、著作家である。 1951年、高知県安芸市生まれ。1歳半で脊椎カリエスを罹患し、中学時代は寝たきり状態の中で施設での生活を体験する。安芸高校の商業科を卒業。このころ、後のパートナーである近藤秀夫に出会う。 1972年、近藤と結婚した。埼玉県へ移り、近藤と生活しつつ高千穂商科大学で会計学を専攻する。卒業後は東京都町田市で障害者の訪問介護事業に携わる。 1984年、ダスキンの「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生としてアメリカにわたる。カリフォルニア州バークレーの自立生活センターで身体障害者や知的障害者の当事者運動を学ぶ。
松本 幹雄(まつもと みきお、1927年 - 2002年)は… 松本 幹雄(まつもと みきお、1927年 - 2002年)は、日本の社会学者。元京都外国語大学教授、元産業能率大学教授。 高千穂経済専門学校(現高千穂大学)第31回卒業。1954年(昭和29年)京都外国語大学社会学研究科九十九里浜調査委員会研究員として調査研究に従事、1955年(昭和30年)九学会連合奄美大島諸島に関する調査に日本社会学会より参加し、1956年(昭和31年)米国イリノイ大学教授ジュリアン・スチュワード博士の計画せる「世界の文化変化に関する通文代の規則性に関する調査」に参加をする。その後、1959年(昭和34年)ブラジルに留学。1960年(昭和35年)「コーヒー生産地帯の社会文代体制の変化」の研究のため、サンパウロ州コーヒー生産地帯の地域社会を現地調査。
宇佐美 忠信(うさみ ただのぶ、1925年10月31日 - … 宇佐美 忠信(うさみ ただのぶ、1925年10月31日 - 2011年11月10日)は、日本の労働運動家。ゼンセン同盟会長、富士社会教育センター理事長、日本会議代表委員などを歴任した。位階は従三位。 東京都出身。高千穂経済専門学校(現高千穂大学)を卒業。 1946年、富士紡績に入社。世界民主研究所で鍋山貞親の反共主義に影響を受け、全繊同盟の結成に参加した[要出典]。 1971年、全繊同盟会長に就任。1980年、全日本労働総同盟会長に就任。1987年、全日本労働総同盟を解散し、全日本民間労働組合連合会(連合)の結成により副会長に就任した[要出典]。 国際自由労連副会長、国際労働財団理事長、富士社会教育センター理事長、日本会議代表委員などを務めた。
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 … 名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 - 2007年4月11日)は、日本の思想史家、評論家。元高千穂商科大学教授。専攻は社会思想史。 岡山市生まれ。山口高等商業学校卒業後、新京の陸軍経理学校を経て出征。朝鮮半島で終戦を迎え、ソビエト連邦に抑留を経て1950年に帰国。岡山県に戻り高校教師となり、高千穂商科大学助教授を経て1982年に教授。1997年に退職後、著作活動に専念。 2007年4月11日、呼吸不全のため死去。 パラオでの戦没者の慰霊活動を多く行っており、その一環として南洋神社にパラオ挺身隊の顕彰碑を建立した。
高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 20… 高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、政治家、参議院議員(1期)。位階は正五位。 呉服店の三男として生まれる。作家の宮沢賢治とは遠縁にあたる。幼い頃は病弱な子供であったという。花城尋常小学校(1931年3月)、組合立花巻中学校(1938年3月)、高千穂高等商業学校を卒業後、富士電機へ就職。 1942年10月、アナウンサー募集の新聞広告に目が止まったのがきっかけでNHKに入局。入社試験面接官・養成所校長は和田信賢(後に『話の泉』の和田の後任を引き受けた)。1944年5月27日、結婚。1948年1月19日、長女・光が誕生。1950年1月から1954年9月まで慶應義塾大学病院で療養。
南部 泰三(なんぶ たいぞう、1916年4月13日 - 没年… 南部 泰三(なんぶ たいぞう、1916年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は松角 知己男(まつかど ちきお)。1936年(昭和11年)に大都映画に入社して助監督となり、その後、大毎東日映画部、日本映画社、満洲映画協会を経て、第二次世界大戦後に独立した。1964年(昭和39年)から成人映画を手がけ、黎明期の作家とされる。第八芸術映画プロダクション代表、「亜細亜文化振興会」情報部長を歴任した。 1916年(大正5年)4月13日、長崎県北高来郡湯江村(現在の同県諫早市高来町湯江)に生まれる。叔父に新国劇理事を経て、戦後、東宝取締役、東宝舞台代表取締役社長を歴任した俵藤丈夫(1893年 - 1964年)がいる。
小菅 孝一郎(こすげ こういちろう、1915年9月24日 -… 小菅 孝一郎(こすげ こういちろう、1915年9月24日 - ?)は日本の実業家。伊勢丹元常務取締役、同社監査役、同社相談役。株式会社東京カナダドライ元社長。 東京出身。1936年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)卒業。 松屋勤務の後、1940年伊勢丹に入社し総務部企画課、庶務課等の各課勤務。営業部用達課長、企画営業部第二各部次長を経て、1957年3月販売部長となり同年6月取締役に就任する。 1961年伊勢丹常務取締役、1979年伊勢丹監査役、1989年伊勢丹相談役に就任した。
川上 源一(かわかみ げんいち、1912年1月30日 - 2… 川上 源一(かわかみ げんいち、1912年1月30日 - 2002年5月25日)は、日本の実業家。日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代社長で、ヤマハ発動機株式会社創業者でもある。 本業の楽器製造に加えてオートバイ、スポーツ用品、レクリエーションなど各種事業を創業し、社業の業績向上と多角化に大きな成果を挙げてヤマハ中興の祖ともいわれる。 音楽や楽器演奏を身近にするためにヤマハ音楽教室を全国で展開して音楽教育の裾野を広げるほかに、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』や『世界歌謡祭』などを開催して、1970年代から80年代のフォークソングとロックミュージックに功績している。特に、アマチュア時代の中島みゆきを見いだし、浜松市にあった川上の自宅に中島を呼び出し「あなたはすごい詞を書く。
下河辺 三史(しもこうべ さんし、1911年10月16日 -… 下河辺 三史(しもこうべ さんし、1911年10月16日 - 1993年1月17日)は、日本の実業家。 日本鉱業(現・ENEOS)の社長を務めた下河辺建二の次男として東京府(現・東京都)に生まれる。兄の下河辺孫一は下河辺牧場の創業者となっている。 1932年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)を卒業して日立製作所に入社。立憲政友会所属の衆議院議員・芦田均の長女・美世と結婚し、3男をもうけた。 戦後、義父の芦田が幣原内閣の厚生大臣として入閣すると、日立を退社して厚相秘書官となる。芦田が片山内閣の外務大臣就任にともない外相秘書官、芦田内閣発足と同時に首相秘書官となった。 その後、日立グループの商社・日製産業(現・日立ハイテク)に取締役営業部長として入社、1959年常務に就任。
富尾木 惣一(とみおぎ そういち、1908年〈明治41年〉1… 富尾木 惣一(とみおぎ そういち、1908年〈明治41年〉12月 - 没年不詳)は、日本の実業家。元東洋埠頭社長 高千穂高等商業学校第16回(現・高千穂大学)卒業。在学時は野球部の委員であった。 1933年南満州鉄道に入社。本社経理部会計課、奉天鉄道総務局経理、斉々哈爾鉄道局経理部各勤務。 牡丹江鉄道主計科長を経て、1943年南満州鉄道本社経理局予算課主任にて終戦を迎える。 終戦後、1951年東洋埠頭川崎支店経理課長となり、本社会計課長、経理部長、次長を歴任。 1963年取締役、1967年常務業務部長、1970年12月川崎支店長、専務取締役を経て、1977年12月社長に就任した。
島田 伊平次(しまだ いへいじ、1908年〈明治41年〉5月… 島田 伊平次(しまだ いへいじ、1908年〈明治41年〉5月16日 - 没年不詳)は、日本の実業家。元高島副社長、同社相談役。 1908年、東京都生まれ。高千穂高等商業学校第13回卒業。 1937年高島屋商店に入社。その後監査役に選ばれ、1942年高島屋工業取締役資材部長に就任。 工機営業各部長、日本染色監査役を経て常務取締役になり、後副社長に推され1972年定年退職をした。 その他、タカシマビルデング、日本騒音コンサルタント社長を務めた。 妻は高島創業者の高島幸太吉の娘・静枝。
有沢 忠一(ありさわ ただいち、1905年(明治38年)4月… 有沢 忠一(ありさわ ただいち、1905年(明治38年)4月16日 - 1990年(平成2年)9月27日)は、元三菱瓦斯化学株式会社社長、同社会長、元日本瓦斯化学工業株式会社社長、元株式会社有沢製作所社長、同社会長 その他、沢製作所株式会社会長、東邦天然ガス株式会社取締役、三菱製紙株式会社顧問、天然ガス鉱業会顧問を歴任した。墓所は多磨霊園。
上山 輝一(かみやま てるいち、1900年〈明治33年〉5月… 上山 輝一(かみやま てるいち、1900年〈明治33年〉5月9日 - 1982年〈昭和57年〉5月26日)は、日本の政治家。東京都中野区長、東京都議会議員(2期)を務めた。計理士、税理士。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 1900年現在の和歌山県有田市に生まれる。高千穂高等商業学校(現高千穂大学)第6回卒業。1955年4月以来、東京都議会議員に連続2回当選(日本民主党→自由民主党)。1963年3月21日に中野区長に就任。1967年3月に再選。区長を1963年3月22日から1971年3月27日まで務めた。その後1972年4月から1982年5月26日まで高千穂商科大学の理事を務めた。
伊藤 謙三(いとう けんぞう、1898年(明治31年)11月… 伊藤 謙三(いとう けんぞう、1898年(明治31年)11月24日 - 1966年(昭和41年)9月25日)は、日本の実業家。初代大建木材工業社長。 1920年に高千穂高等商業学校(現高千穂大学)を卒業し、同年よりアメリカ合衆国に留学。1923年ハーバード大学卒業。1924年丸紅商店入社。 1937年丸紅商店大阪支店貿易部長。1939年丸紅商店上海支店長。1940年丸紅商店取締役。1941年三興貿易部長。1942年三興取締役。 1944年大建産業林業部長。1945年に大建産業林業部が大建木材工業として独立すると、同社初代社長に就任した。伊藤忠商事の大株主でもあった。 父は伊藤忠三元丸紅商店会長。
7代 野本 吉兵衛(のもと きちべえ、1898年〈明治31年… 7代 野本 吉兵衛(のもと きちべえ、1898年〈明治31年〉6月13日 - 1984年〈昭和59年〉3月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、八幡浜市長。幼名・定敏。 愛媛県西宇和郡八幡浜町須賀之町(現八幡浜市)で、商家・6代野本吉兵衛定一の長男として生まれ、のち7代吉兵衛を襲名した。 1922年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)卒。東京土地住宅(株)勤務のあと、帰郷し家業に従事し、八幡浜町議、同市助役、同市長、愛媛県方面委員、市翼賛壮年団長、予州銀行監査役、理研木材工業(株)社長となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では愛媛3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
森村 勇(もりむら いさむ、1897年5月30日 - 19… 森村 勇(もりむら いさむ、1897年5月30日 - 1980年3月23日)は、日本の実業家。日本特殊陶業社長や、全日本空輸社長、日本航空常務取締役、日本陶器取締役、東洋陶器取締役、日本碍子取締役などを歴任した。 1918年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)卒業。1936年日本特殊陶業取締役。1944年日本特殊陶業取締役社長。1950年大日本製糖監査役。1951年日本特殊陶業取締役会長。1953年日本航空常務取締役。1955年日本航空監査役、日本特殊陶業取締役社長。1961年日本陶器取締役、東洋陶器取締役、日本碍子取締役、日本特殊陶業取締役会長。1962年全日本空輸取締役、日東石膏取締役。1963年東洋サーモコントロール監査役。
佐々木 耕郎(ささき こうろう、1895年(明治28年)8月… 佐々木 耕郎(ささき こうろう、1895年(明治28年)8月21日 - 1978年(昭和53年)10月1日)は、日本の政治家。栃木県(旧)日光市長を務めた。 岩手県盛岡市に生まれる。盛岡中学を経て、1917年(大正6年)、高千穂高等商業学校を卒業。同年、古河電気工業株式会社に就職。その後の人生の大半を日光で過ごす。1945年(昭和20年)、同社を退職。同年11月に株式会社別倉製作所他2社を立ち上げ社長に就任した。佐々木は終戦時に古河電気工業が多数の従業員を解雇したことの責を負って同社を退職しており自ら会社を起こしたのは古河電気工業を解雇された従業員たちを雇用するためであった。 その後、1951年(昭和26年)4月の栃木県議会議員選挙で当選し1953年(昭和28年)7月まで県議会議員を務めた。
飯田 荘平(いいだ そうへい、5月31日 - )は、日本の男… 飯田 荘平(いいだ そうへい、5月31日 - )は、日本の男性声優。東京都出身。現在はフリー。 以前はぷろだくしょんバオバブ、ベルプロダクションに所属していた。 大学在学中に「少年山賊団」という童謡ジャグバンドに参加していた。 ※いずれも「少年山賊団」としての出演。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
上田 銃造(うえだ じゅうぞう)は、日本の実業家。四国運輸社… 上田 銃造(うえだ じゅうぞう)は、日本の実業家。四国運輸社長のほか、土佐肥料販売代表取締役や高知県交通安全協会会長、高知県海事振興会長などを歴任した。 高千穂高等商業学校(現高千穂大学)第9回卒業。 日本紙業に入社し、1944年(昭和19年)7月退職。1948年(昭和23年)高知県地労委員、1951年(昭和26年)より1957年(昭和32年)まで高知県交通専務、1953年(昭和28年)より1959年(昭和34年)まで高知県貨物自動車協会会長高松陸運局自動車運送協会委員、1957年(昭和32年)より1962年(昭和37年)まで高知県公安委員、1962年(昭和37年)より1969年(昭和44年)まで高知県海事振興会長を歴任した。
田原 政春(たはら まさはる)は、日本の実業家。元帝人化成(… 田原 政春(たはら まさはる)は、日本の実業家。元帝人化成(代表)専務取締役。 高千穂高等商業学校第15回(現・高千穂大学)卒業。 帝人に入社。帝人航空、帝人製機を経て1956年久野島化成取締役に就任。 1964年帝人化成常務取締役を経て、1971年(代表)専務取締役に就任した。 その他、久野島化学工業、テイジンレンズの取締役であった。
野呂 整一(のろ せいいち)は、日本の実業家。日本の実業家。… 野呂 整一(のろ せいいち)は、日本の実業家。日本の実業家。元パイロットプレシジョン社長、元パイロット万年筆専務取締役。 高千穂高等商業学校第14回(現・高千穂大学)卒業。 並木製作所(のちのパイロットコーポレーション)に入社し、比島、磐谷各出張所主任を経て、1959年取締役総務部長、1960年ブラジル会社駐在代表取締役、 1962年常務となる。1966年ではパイロット機工(のちのパイロットプレシジョン)社長も兼任。 その後、1974年パイロット万年筆専務取締役に就任した。
人見 悠紀夫(ひとみ ゆきお)は、日本の実業家。元山一証券取… 人見 悠紀夫(ひとみ ゆきお)は、日本の実業家。元山一証券取締役、元山一ファイナンス社長。 高千穂経済専門学校第33回(現・高千穂大学)卒業。 山一証券に入社。1961年1月第一営業部神田支店長となり、株式引受部調査役同部付部長東京営業部長を経て 1978年2月第三事業法人部長、1979年10月法人本部副本部長に昇格し、同年12月取締役に就任。