スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
麻倉 瑞季(あさくら みずき、2002年〈平成14年〉4月1… 麻倉 瑞季(あさくら みずき、2002年〈平成14年〉4月11日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント。長崎県出身。エイジアプロモーション所属。 生まれも育ちも長崎県。 長崎県立諫早高等学校・附属中学校出身で、中学・高校と放送部に打ち込み、中学3年時に「NHK杯全国中学校放送コンテスト」アナウンス部門長崎県1位。高校では「九州高校放送コンテスト」朗読部門優勝。「NHK杯全国放送コンテスト」にも出場した。高校1年から3年間はアナウンススクールに通い、テレビ局アナウンサーを目指していた。 高校2年からは高校生平和大使となり学生団体「おこしWings」を立ち上げ、大人の力を借りない国際協力、地方創生を代表として取り組んだ。
森 智香子(もり ちかこ、1992年11月25日 - )は陸… 森 智香子(もり ちかこ、1992年11月25日 - )は陸上競技選手。中距離走、長距離走、障害走。東アジア競技大会(2013年天津)1500m銅メダル。第101回日本選手権3000m障害優勝。 長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、長崎県立諫早高等学校、大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科卒業。積水化学入社、女子陸上競技部に所属。 長崎大附属中の頃から陸上競技で活躍し県内では注目されていたが、全国大会への出場は叶わなかった。諫早高時代に全国レベルの選手として注目されるようになった。諫早高は公立の進学校ながら高校駅伝の強豪校として知られ、女子駅伝で全国制覇も成し遂げている。
寺田 夏生(てらだ なつき、1991年8月30日 - )は、… 寺田 夏生(てらだ なつき、1991年8月30日 - )は、長崎県西彼杵郡時津町出身の陸上競技指導者(駅伝競走)、 元選手。専門は長距離走(マラソン・駅伝)。時津町立時津中学校、長崎県立諫早高等学校、國學院大學人間開発学部、各卒業。その後はJR東日本・陸上競技部に所属していた。 かつて、時津中学校時代は野球部に所属していた。だが長距離走が得意だったことから、当時の体育教師から陸上競技を勧められ、2004年から地方の陸上競技大会に出場していた。2006年夏、野球部引退を機に陸上競技へ転向。同年の全日本中学陸上では1500mに出場したものの0.14秒差で決勝進出を逃した。 中学卒業後、陸上競技・長距離走の名門・長崎県立諫早高校に入学。
森岡 紘一朗(もりおか こういちろう、1985年4月2日 -… 森岡 紘一朗(もりおか こういちろう、1985年4月2日 - )は、日本の競歩選手、競歩コーチ。ユニバーシアードの20km競歩で2005年、2007年の2大会連続で銅メダル。2006年アジア競技大会20km競歩銅メダル。2008年北京オリンピックの20km競歩に出場。広州アジア大会50km競歩で3時間47分41秒のタイムで銅メダル。日本選手権の20km競歩で2010年、2011年に優勝。現在はコーチ。富士通所属。 長崎県諫早市出身。長崎県立諫早高等学校卒業、順天堂大学卒業。もとは長距離ランナーだったが、高校2年のとき競歩に転向。2003年、地元の長崎で行われた長崎ゆめ総体5000m競歩決勝でトップでフィニッシュしたが、歩型違反により失格となった。
藤原 新(ふじわら あらた、1981年9月12日 - )は、… 藤原 新(ふじわら あらた、1981年9月12日 - )は、日本の陸上競技長距離走・マラソン元選手、現指導者(スズキAC・男子ヘッドコーチ)。現役時代の所属はJR東日本→フリー→レモシステム→フリー(東京陸上競技協会)→ミキハウス→フリー(富山陸上競技協会)→アキレス(MEDIFOAM)。 男子マラソンの主な実績に、2012年ロンドンオリンピック・2009年世界陸上ベルリン大会各日本代表、2008年・2010年・2012年東京マラソン男子の部各2位、2015年防府読売マラソン優勝など。 長崎県諫早市(旧・西彼杵郡多良見町)出身。1997年3月、諫早市立琴海中学校(旧・多良見町立琴海中学校)卒業。
藤永 佳子(ふじなが よしこ、1981年8月15日 - )は… 藤永 佳子(ふじなが よしこ、1981年8月15日 - )は、日本女子の陸上競技元選手・現教職員・指導者。専門は長距離走・マラソン。身長171cm、体重55kg。血液型O型。趣味は旅行。好物はみかん、ウナギ。 長崎県立諫早高等学校時代から、駅伝・トラック種目等で注目された大型女子選手だった。その後筑波大学へ進学し、大学卒業後は資生堂ランニングクラブに所属。2009年4月から2012年3月まで資生堂女子陸上競技部のキャプテンを務めていた。 長崎県北松浦郡佐々町生まれ。1994年、佐々町立佐々中学校入学後から陸上競技を始める。 1997年、諫早市に転居し、長崎県立諫早高等学校に進学。諫早高校の陸上部はこの頃から県内有数の強豪校となっていたこともあり、全国高等学校駅伝競走大会で2・3年次には2年連続1区区間賞を獲得。
前田 和之(まえだ かずゆき、1980年2月10日- )は、… 前田 和之(まえだ かずゆき、1980年2月10日- )は、日本の陸上競技選手。長崎県西彼杵郡時津町出身。長崎県立諫早高等学校・亜細亜大学卒業。コニカミノルタ所属。 小学2年生頃兄の後を追って時津東小学校区の時津東陸上クラブに入部し陸上を始めた。中学時代第2回全国中学校駅伝大会において1区2位の成績を残した。高校時代の1997年にはインターハイ5000mで8位入賞を果たした。 諫早高校卒業後は亜細亜大学に進学し岡田正裕監督の指導を受ける。2002年4年時の箱根駅伝では2区(23.2km)を神屋伸行、オンベチェ・モカンバ、徳本一善らと走り、1時間08分37秒で区間3位の成績を残した。 亜細亜大学卒業後は、コニカミノルタに入社し酒井勝充監督の指導を受ける。
津山 ちなみ(つやま ちなみ、1979年4月22日 - )は… 津山 ちなみ(つやま ちなみ、1979年4月22日 - )は、日本の漫画家。長崎県出身。血液型はO型。福岡教育大学中退。ペンネームの由来は好きな歌手のB'zの稲葉浩志の出身地が岡山県津山市であることから。『ちなみ』は「津山にちなんで」から。
垣根 涼介(かきね りょうすけ、1966年4月27日 -)は… 垣根 涼介(かきね りょうすけ、1966年4月27日 -)は、日本の小説家。長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、筑波大学第二学群人間学類卒。 小学校6年生から小説を読み始め、サマセット・モーム『月と六ペンス』に感動する。その後にトルーマン・カポーティ、ガルシア・マルケスなどを読む。 高校卒業と同時に上京し、筑波大学に入学する。卒業後はリクルートに入社し、『とらばーゆ』、『ビーイング』、『テクノロジービーイング』という求人情報誌3誌を受け持ち、インタビューやコピーを書く仕事をする。2年で退職し、1年間ブラブラしていた。次に就職した商社は3か月で辞め、その次に就職した近畿日本ツーリストには7年半勤務し、業界団体や奉仕団体などへの視察旅行の企画・立案を行った。
大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3… 大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3月12日 - )は、日本の政治家、歯科医師。長崎県諫早市長(2期)。元長崎県議会議員(4期)。元参議院議員(1期)。 長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、長崎大学歯学部卒業。東京都、神奈川県の歯科医院勤務を経て、福岡県福岡市博多区で歯科医院を開業し、地域の歯科医療に携わる。2002年、小沢一郎政治塾修了(同塾の第1期生)。 2003年、長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選した。2005年、長崎県議を任期途中で辞職し、第44回衆議院議員総選挙に長崎2区から民主党公認で出馬したが、自由民主党前職の久間章生に敗れ、落選した。2006年、長崎県議会補欠選挙に出馬し、当選。
泉本 のり子(いずもと のりこ、1965年11月28日 - … 泉本 のり子(いずもと のりこ、1965年11月28日 - )は、日本の元歌手、女優。長崎県出身。本名・泉本 教子。 長崎県立諫早高等学校卒業後上京。モデルClubに所属し、CF・雑誌のモデルとして活躍。兄のハードロックバンドREIGNにボーカルとしても参加しており、のちSPLASHに改称し、1988年にTHE ALFEEの高見沢俊彦のプロデュースのもと、シングル「レプリカント・スキャンダル」でデビュー。表題曲は、OVA『孔雀王 鬼還祭』の主題歌に使用された。 その後女優に転じ、テレビ・舞台を中心に活躍。主な出演作に『外科医柊又三郎』『真夏の薔薇』『COACH』など。
立川 裕大(たちかわ ゆうだい、1965年9月27日 - )… 立川 裕大(たちかわ ゆうだい、1965年9月27日 - )は、日本の実業家・伝統技術ディレクター。株式会社 t.c.k.w代表取締役。 長崎県生まれ。長崎県立諫早高等学校、甲南大学卒業。オーダーメイドの伝統工芸プロジェクト「ubushina」を立ち上げ、日本の伝統技術を先鋭的なインテリアに仕立てるというスタイルを確立。空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどを一点物として仕立ててきた。「東京スカイツリー」「パレスホテル東京」「伊勢丹新宿店」など、日本各地の職人と長年にわたって切磋琢磨しながらものづくりの現場を共にし、2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる三井ゴールデン匠賞を受賞。
稲田 雅裕(いなだ まさひろ、1965年〈昭和40年〉9月3… 稲田 雅裕(いなだ まさひろ、1965年〈昭和40年〉9月3日 - )は、日本の国土交通技官。港湾空港技術研究所長や国土交通省港湾局長を歴任。 長崎県諫早市出身。長崎県立諫早高等学校を経て、1990年九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、運輸省入省、2003年国土交通省総合政策局政策課課長補佐。2006年国土交通省関東地方整備局港湾空港部地域港湾空港調整官。 2007年国土交通省港湾局計画課計画企画官。2009年国土交通省九州地方整備局博多港湾・空港整備事務所長。2011年国土交通省港湾局計画課事業企画官。2013年国土交通省港湾局計画課企画室長。2015年国土交通省近畿地方整備局港湾空港部長。
諫見 泰彦(いさみ やすひこ、1965年 - )は、九州産業… 諫見 泰彦(いさみ やすひこ、1965年 - )は、九州産業大学 建築都市工学部住居・インテリア学科 准教授(地域貢献実践学)。文化庁 文化芸術による子ども育成総合事業 派遣芸術家(メディア芸術)。 長崎県諫早市出身。1984年、長崎県立諫早高等学校、1988年、福岡大学工学部建築学科を卒業し、九州芸術工科大学(現 九州大学)大学院芸術工学研究科に進学。1990年、修士課程修了(芸術工学修士)。長崎県立長崎工業高等学校建築科教諭(1990年 – 1997年)、学校法人麻生塾麻生工科専門学校建築学科教務(1997年 – 2001年)、福岡市立博多工業高等学校建築科教諭(2001年 – 2006年)としての教育実践の傍ら、長崎大学工学部社会開発工学科内地留学研修員、国立教育政策研究所教育情報・資料センター共同研究員、近畿大学九州工学部産業デザイン学科/同建築学科兼職教員として研究活動を行った。
小島 啓民(こじま ひろたみ、1964年3月3日 - )は、… 小島 啓民(こじま ひろたみ、1964年3月3日 - )は、日本の野球選手、野球指導者。第16回アジア大会日本代表チームなどの監督を務めた。 諫早高校では第61回全国高等学校野球選手権大会、第52回選抜高等学校野球大会に出場。2年春は一番・三塁手として、2回戦の対東海大三戦で決勝タイムリーを放つなどの活躍をしている。高校卒業後は早稲田大学に進み、2年時からレギュラーになった。 大学卒業後は社会人野球の三菱重工長崎に進み、1991年には四番打者として第62回都市対抗野球大会での準優勝に貢献。久慈賞を受賞し、同年は初の社会人ベストナインにも外野手として選ばれている。1992年はバルセロナオリンピック野球日本代表にも選ばれ、同五輪では8試合に全て指名打者として出場。
村岡 克彦(むらおか かつひこ、1963年6月26日 - )… 村岡 克彦(むらおか かつひこ、1963年6月26日 - )は、日本の映画プロデューサー。学校法人東放学園評議員。東放学園映画専門学校非常勤講師。長崎県諫早市出身。 長崎県諫早市立飯盛中学校、長崎県立諫早高等学校卒業。福岡大学経済学部経済学科中退。コンサートイベンター、CDプロモーター等を20年余り務め、その間YUI、絢香などのメジャーデビューにも深く関わる。 その後、映画プロデューサーとしての活動を始め、2013年認知症となった母と息子の物語「ペコロスの母に会いに行く」(主演:赤木春恵・岩松了 / 特別協賛:ソニー生命保険)を製作。キネマ旬報ベストテン日本映画第1位、映画芸術ベストテン日本映画第1位、毎日映画コンクール日本映画優秀賞ほか国内外の映画賞を数多く受賞。
木原正博(きはらまさひろ、1953年(昭和28年) - )は… 木原正博(きはらまさひろ、1953年(昭和28年) - )は、日本の医師、医学者(公衆衛生学、社会疫学(socio-epidemiology))、翻訳家。1984年に京都大学より医学博士の学位を取得。京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻国際保健学講座社会疫学分野の初代教授・第4代専攻長、前京都大学理事補(国際担当)、前・京都大学学際融合教育研究推進センター・グローバルヘルス学際融合ユニット長、京都大学名誉教授 生涯獲得事業費総額約2億1000万円 research map木原正博
あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家… あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家、ミュージシャン、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。 大分県大分市出身。長崎県立諫早高等学校卒業。長崎県立国際経済大学(現長崎県立大学)中退。中学2年より作詞・作曲を始め、大学時代はフォークソングクラブに所属していた。 上京後、荻窪ロフトや高円寺のレッドハウスなどのライブハウスでミュージシャンとして活動。29歳で放送作家となり、現在は『ガッテン!』(NHK総合テレビ)などを担当。SPACE SHOWER MUSIC所属のミュージシャンとしても活動中であり、制作した楽曲数は300曲を超える。アニソンやゲーム音楽にも精通している。
中路 重之(なかじ しげゆき、Shigeyuki NAKAJ… 中路 重之(なかじ しげゆき、Shigeyuki NAKAJI、1951年7月21日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(弘前大学・1983年)。弘前大学大学院医学研究科特任教授。青森県医師会健やか力推進センター・センター長。青森県総合健診センター・理事長。専門は癌の疫学、スポーツ医学、公衆栄養学ほか。
宮本 明雄(みやもと あきお、1949年(昭和24年)3月1… 宮本 明雄(みやもと あきお、1949年(昭和24年)3月1日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。元長崎県諫早市長(3期)。 長崎県諫早市宇都町出身。諫早小学校、上山小学校を経て諫早中学校を卒業。1967年(昭和42年)3月、諫早高校卒業。1972年(昭和47年)3月、國學院大學経済学部経済学科卒業。同年8月1日、諫早市役所に入庁。 1992年(平成4年)に諫早市東京事務所長。1995年(平成7年)に総務課長。1999年(平成11年)に議会事務局長。2001年(平成13年)に財務部長。 2007年(平成19年)3月31日、諫早市役所を退職。同年4月1日、諫早市副市長に就任。2008年(平成20年)12月31日、副市長を退任。
御厨 さと美(みくりや さとみ、1948年5月20日 - )… 御厨 さと美(みくりや さとみ、1948年5月20日 - )は、日本の男性漫画家。長崎県出身、早稲田大学第一文学部中退。本名は御厨哲美(読みは同じ)。
吉永 裕(よしなが ゆたか、1948年 -)は、日本の画家、… 吉永 裕(よしなが ゆたか、1948年 -)は、日本の画家、美術家。小浜逸郎、篠原有司男、関根伸夫、平賀敬、種村季弘、豊田豊、眞板雅文、 最上壽之らとの交友関係がある。 長崎県佐世保市生まれ。長崎県立諫早高等学校を卒業。最初の展覧会は、1972年に新人発掘として行われた銀座4丁目銀彩堂画廊での企画展である。1983年、現代美術今立和紙展優秀賞。1985年、第5回ハラ・アニュアル原美術館に出品。同年、現代美術今立和紙展85大賞。1992年、横浜県民ギャラリー《現代作家シリーズ》、ギャラリー上田/銀座店 (東京) 。1996年に神奈川県真鶴町に移り住み、2000年に海を追求したブルーの連作を発表している。
市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997… 佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997年)は、日本の映画監督である。 1939年(昭和14年)7月28日、長崎県北高来郡小野村大字小野島(現在の同県諫早市小野島町)に生まれる。本名は不明であるが、姓は「春野」(はるの)であるという。 1955年(昭和30年)4月、長崎県立諫早高等学校に進学する。2学年下の後輩に、のちに脚本家となる市川森一がいた。1958年(昭和33年)3月、同校を卒業して東京に移り、早稲田大学政治経済学部に進学するも、満23歳を迎える1962年(昭和37年)には同学を中途退学する。その後は、織田良一郎の芸術映画社、大映テレビ室(現在の大映テレビ)等の記録映画、テレビ映画の製作会社で製作部や演出部の助手を務めた。
野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 198… 野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 1980年5月7日)は、日本の小説家。芥川賞作家。長崎県長崎市出身。本名は納所邦暢(のうしょ くにのぶ)。自らの自衛隊体験や、戦後住んだ諫早市を舞台にした小説・随筆を数多く残した。 長崎市岩川町に土建業を営む両親のもとに、6人兄弟の次男として生まれる。1945年銭座国民学校2年の時に父が応召したため、母の実家で祖母と叔父の住む諫早市に疎開。長崎の原爆投下を目撃、この被害により長崎市に残した家財一切を失い、戦後も諫早に住む。1950年北諫早中学校に入学。1952年15歳の頃から太平洋戦争の戦記を蒐集し始める。1953年諫早高校に入学し、美術部に入部、文学や芸術一般に興味を持つ。
竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系… 竹下 哲(たけした さとる、1923年 - )は、浄土真宗系の随筆家。 長崎市生まれ。1944年広島高等師範学校卒。長崎県教育長、県立長崎図書館長、県教育センター所長、長崎県立諫早高等学校長、長崎県立長崎西高等学校長、長崎県社会教育委員長。2001年仏教伝道文化賞受賞。
林田 重正 (はやしだ しげまさ、1918年10月1日 - … 林田 重正 (はやしだ しげまさ、1918年10月1日 - 1997年1月4日)は、長崎県諌早市出身の画家。 山、川、野原、木立と言った、やさしい日本の風景を、心に映るままに描き続けた。 自由美術家連盟離脱後、特定の美術団体に属することもなく、かつ非常に寡作でありまた謙虚な性格であった為、一部の熱烈な理解者を得てはいた ものの、生前に美術界で大きな評価を得ることはなかった。 底本はによった。ただし、年齢は満年齢とした。 1918年 (大正7年)10月1日、長崎県北高来郡諫早村上ノ馬場(現諫早市上野町)に生まれる。父嘉八・母津枝。家業は地主。 1937年(昭和12年)3月(18歳)、県立諫早中学(現・県立諫早高等学校)を1年遅れで卒業。
南部 泰三(なんぶ たいぞう、1916年4月13日 - 没年… 南部 泰三(なんぶ たいぞう、1916年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は松角 知己男(まつかど ちきお)。1936年(昭和11年)に大都映画に入社して助監督となり、その後、大毎東日映画部、日本映画社、満洲映画協会を経て、第二次世界大戦後に独立した。1964年(昭和39年)から成人映画を手がけ、黎明期の作家とされる。第八芸術映画プロダクション代表、「亜細亜文化振興会」情報部長を歴任した。 1916年(大正5年)4月13日、長崎県北高来郡湯江村(現在の同県諫早市高来町湯江)に生まれる。叔父に新国劇理事を経て、戦後、東宝取締役、東宝舞台代表取締役社長を歴任した俵藤丈夫(1893年 - 1964年)がいる。
坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 19… 坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 1990年1月19日)は、昭和時代後期日本の政治家。内務省および警察庁の官僚を経て、兵庫県知事を4期16年にわたって務めた。