スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は… 小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳。1994年アジア競技大会銀メダリスト、2002年アジア競技大会銅メダリスト。高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校、日本大学卒業。 安芸高校3年の国民体育大会で三段跳に出場し、15メートル81の日本高校新記録をマークして優勝。1994年、日本選手権で初優勝。広島アジア大会では16m88をマークして銀メダルを獲得した。1996年、アトランタオリンピックへの出場が有力視されていたが、コンディショニングに失敗し選考会であった日本選手権で3位に終わり、オリンピック出場を逸した。2000年のシドニーオリンピックも落選した。
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023… 樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023年9月15日)は日本の政治家、元町田市議会議員(1期)。障害者運動の社会活動家、著作家である。 1951年、高知県安芸市生まれ。1歳半で脊椎カリエスを罹患し、中学時代は寝たきり状態の中で施設での生活を体験する。安芸高校の商業科を卒業。このころ、後のパートナーである近藤秀夫に出会う。 1972年、近藤と結婚した。埼玉県へ移り、近藤と生活しつつ高千穂商科大学で会計学を専攻する。卒業後は東京都町田市で障害者の訪問介護事業に携わる。 1984年、ダスキンの「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生としてアメリカにわたる。カリフォルニア州バークレーの自立生活センターで身体障害者や知的障害者の当事者運動を学ぶ。
竹村 一義(たけむら かずよし、1949年12月19日 - … 竹村 一義(たけむら かずよし、1949年12月19日 - )は、高知県安芸郡安田町出身の元プロ野球選手(投手)。 安芸高校ではエースとして活躍。1967年春季四国大会県予選で決勝に進出し、土佐高の萩野友康と投げ合うが惜敗。夏の甲子園県予選では準々決勝で高知工に敗退、甲子園には出場できなかった。 同年11月、ドラフト7位で大洋ホエールズに指名され、卒業後に入団。しかし在籍5年半で僅か2勝しかできず、1973年のシーズン途中に山口富士雄との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍した。この年は8勝を挙げて、パ・リーグのプレーオフ(対南海ホークス)にも出場し活躍している。 1974年には開幕投手を務め9勝3敗、勝率.750という好成績を残して、最優秀勝率投手のタイトルも獲得。
ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948… ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948年 - )は、日本人のハリウッド俳優、剣道師範、英語発音研究家。高知県高知市出身で現在はアメリカ合衆国ニューヨーク在住。全東部米国剣道連盟会長。 高知県立安芸高校卒業後、ヤンマー業務提携会社の協和農機に入社。高校時代から剣道を始め、社会人時代には1972年には高知県代表として国民体育大会にも出場した。全日本都道府県対抗剣道優勝大会では高知県代表の先鋒として2位の実績を残す。七段の腕前を持つ。 早期退職制度を利用し、1973年にカナダに渡る。シカゴ、メキシコを経てニューヨークへ行き、1976年、ニューヨークの古い教会の最上階を借り、ニューヨークシティ剣道クラブを創設した。
松本 利秋(まつもと としあき、1947年 - )は、日本の… 松本 利秋(まつもと としあき、1947年 - )は、日本の軍事研究家。 高知県安芸郡生まれ。1967年高知県立安芸高等学校卒業、71年明治大学政治経済学部政治学科卒業。ジャーナリストとして米国、タイ、カンボジア、北方領土、エジプト、ロシアなど紛争地帯を取材。95年文化多元主義問題研究所理事。
門谷 昭(かどたに あきら、1946年7月3日 - )は、高… 門谷 昭(かどたに あきら、1946年7月3日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手。 安芸高校ではエースとして1964年春の選抜に出場。1回戦で岐阜東高を降すが、続く2回戦で市西宮高の谷哲男(中日)に抑えられ敗退。同年夏の甲子園県予選は準決勝で江本孟紀のいた高知商に惜敗。 1965年に広島カープへ入団。貴重な左腕投手として期待されたが、、あまり活躍の場はなく同年限りで退団。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016… 小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016年8月12日)は、日本の劇作家である。 高知県安芸市出身。1959年に高知県立安芸高等学校を卒業し、上京。1968年早稲田大学演劇科卒。以後、劇作ひとすじに、地味で寡作ながらも中味の濃い創作活動を続けている。劇団には所属せず、演出や出演も行っていない。様々な演劇賞の選考委員を務めるほか、学校演劇に使われる脚本なども執筆。演劇雑誌『テアトロ』の編集委員。日本劇作家協会常務理事。 2016年8月12日、胃癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知… 石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知県安芸市出身の競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの200mバタフライ銀メダリスト。 1935年4月6日、高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校を経て日本大学卒業。 中学校の時に野球をしていたが、水泳部の大会に出場したことがきっかけで水泳を始めた。大学1年の時に100mバタフライで日本記録を出した。 1956年メルボルンオリンピック男子200mバタフライ銀メダリストで、1957年9月7日に神宮プールで、富田一雄、古川勝、石原勝記との400mメドレーリレーの世界記録、9月14日に100mバタフライの世界記録を保持した。 日本選手権水泳競技大会では、100mバタフライで1956年から1958年まで3連覇、200mバタフライでも1955年から1957年まで3連覇した。
須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱… 須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱指揮者、編曲家。高知県出身、大阪府在住。豊中混声合唱団名誉指揮者、大阪府合唱連盟・関西合唱連盟最高顧問。 高知県立安芸高等学校を経て早稲田大学第一理工学部卒業。在学中は早稲田大学グリークラブに在団して学生指揮者を務める。磯部俶、高田三郎に師事。 大学卒業後は久我産業株式会社に勤務。その一方、1962年、豊中混声合唱団に入団、同年秋より指揮者となる。同団を指揮して1980年の第33回全日本合唱コンクール全国大会一般部門で金賞受賞、その後第35回(1982年)から第37回(1984年)と第44回(1991年)から第46回(1993年)、第48回(1995年)から第50回(1997年)と、3度の3年連続金賞に導く。
一圓 一億(一円 一億、いちえん かずお、1911年〈明治4… 一圓 一億(一円 一億、いちえん かずお、1911年〈明治44年〉5月23日 - 1987年〈昭和62年〉6月3日)は、日本の法学者。専門は憲法。 高知県安芸郡安芸町(現安芸市)で、一圓太吉郎、猪久代の五男として生まれた。県立安芸中学校(現高知県立安芸中学校・高等学校)、高知高等学校を経て、1934年京都帝国大学法学部を卒業。 卒業後、民間企業に就職したが、個人的に京都帝大の教授であった田村徳治に師事し、憲法研究を行う。1943年、上海の東亜同文書院講師となる。 終戦により帰国。1946年愛知大学助教授、1953年関西学院大学法学部教授。1956年「法の解釈と適用」で関西学院大学より法学博士の学位を取得。
影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1… 影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1964年3月26日)は、日本の電機および鉄道技術者で実業家。高知県出身。近畿日本鉄道(近鉄)元専務取締役である。 高知県安芸郡安芸町(現・安芸市)西浜に生まれる。旧制安芸中学校時代には平均点で95点とも98点ともいわれるほどの優秀な成績を残したという。 旧制松山高校を経て1926年に東京帝国大学工学部を卒業し、鈴木商店(現・味の素)に入社。まもなくイギリスに渡り、ウェスティングハウス(WH)の子会社であるメトロポリタン・ビッカース電機会社に工員(名目上は実習生)として勤務、技術を習得した。 1929年、同郷の先輩で近鉄の前身・参宮急行電鉄(参急)の幹部であった井内彦四郎に招聘され、中途入社として参急に入社する。
西沢 義徴(にしざわ ぎちょう、1888年(明治21年)11… 西沢 義徴(にしざわ ぎちょう、1888年(明治21年)11月21日 - 1967年〈昭和42年〉7月28日)は、日本の外交官。台湾総督府官僚。台北市尹、高雄州知事。 高知県、のちの安芸市出身。1913年(大正2年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、高等文官試験に合格。神奈川県属、同理事官、外務事務官、大使館三等書記官、同二等書記官、安東領事・関東庁事務官・朝鮮総督府事務官、福州総領事・台湾総督府事務官を歴任した。1929年(昭和4年)、台湾総督府税関長に転じ、台北市尹、高雄州知事を務めた。 1935年(昭和10年)に退官した後は、台湾合同鳳梨株式会社常任監査役を務めた。戦後は、安芸高等学校東京同窓会長を務めた。
西岡 瑞穂(にしおか みずほ、1888年2月25日 - 19… 西岡 瑞穂(にしおか みずほ、1888年2月25日 - 1973年12月8日)は、日本の洋画家。 高知県安芸郡安田村(現・安田町)出身。高知県立第三中学校(現・高知県立安芸中学校・高等学校)、一年間の小学校代用教員を経て、1912年東京美術学校(現・東京芸術大学)図画師範科卒業。鹿児島県内の中学校教諭を経て、1913年長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)教諭。教え子に彫刻家清水多嘉示、洋画家高橋貞一郎がいる。長野県立諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)教諭。1919年長野県立野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)教諭。1920年旅順高等女学校教諭。1925年フランスへ留学。
井内 彦四郎(いうち ひこしろう、1888年(明治21年)1… 井内 彦四郎(いうち ひこしろう、1888年(明治21年)1月4日 - 1969年(昭和44年)11月6日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)に入社し、その子会社の参宮急行電鉄(参急)専務取締役を務め、同社の路線規模拡大の先導役となった。高知県出身。 高知県安芸市(当時は安芸郡安芸町)、三菱財閥創始者である岩崎弥太郎を輩出した街で生まれた井内は、明治39年に県立第三中学校(後の安芸高校)を卒業、東京高等商業学校(後の一橋大学)に進学後、岩崎弥太郎の従弟である豊川良平から三菱系列へ入社することを推薦された。しかし、「三菱は既に組織が整っており、私のような鈍才がいってもやる事はない。
西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸… 西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸市生まれ。高知県高知市在住。高知県立安芸高等学校、米国私立エカード大学創作法専修卒業。