スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山口 智規(やまぐち とものり、2003年4月13日 - )… 山口 智規(やまぐち とものり、2003年4月13日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。千葉県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。SGホールディングス陸上競技部所属。 千葉県銚子市生まれ。銚子市立高神小学校、銚子市立第二中学校、福島県学校法人石川高等学校を経て、早稲田大学スポーツ科学部に進学。 2024年2月25日、日本選手権クロスカントリー、福岡クロカンに出場。29分16秒で、井川龍人をかわし、優勝。 同年6月23日、全日本大学駅伝対抗選手権大会関東学生陸上競技連盟推薦校選考会の最終4組に出場。28分36秒15の組4位(日本人1位)でチームの選考会突破に貢献した。 2025年10月13日、第37回出雲駅伝では2区を走り、9人抜きでトップに押し上げ、区間賞を獲得した。
横田 俊吾(よこた しゅんご、2000年4月22日 - )は… 横田 俊吾(よこた しゅんご、2000年4月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。新潟県五泉市出身。青山学院大学教育人間科学部・教育学科卒。JR東日本ランニングチームに所属した。 2013年4月、五泉市立山王中学校へ入学。 中学卒業後の2016年4月、学校法人石川高等学校(福島県石川郡石川町)へ入学。 青山学院大学陸上競技部・原晋長距離ブロック監督のスカウトを受け、学法石川高校卒業後の2019年4月に青山学院大学(神奈川県相模原市)へ進学・同陸上競技部(東京都町田市)に所属。 大学3年時、2021年10月10日の第33回出雲駅伝で最終6区に出走が決まり、三大駅伝デビューを果たす。
遠藤 日向(えんどう ひゅうが、1998年8月5日 - )は… 遠藤 日向(えんどう ひゅうが、1998年8月5日 - )は、福島県郡山市出身の陸上競技選手。専門は中距離走 ・長距離走。郡山市立郡山第四中学校、学校法人石川高等学校卒業。住友電工陸上競技部所属。 5000m室内、5km日本最高記録保持者。 兄の影響を受け小学校4年生で陸上を始める。 中学校3年時には全日本中学校陸上競技選手権大会・ジュニアオリンピック陸上競技大会3000mでそれぞれ優勝。 高校は学校法人石川高等学校に進学し、松田和宏監督の指導の下、国体で3連覇、インターハイでは2年時から2年連続5000m日本人首位、3年時には1500mでも優勝した。高校2年生から3年生の冬まで、同世代の選手相手に公式戦で負けなしという実績を誇り、3年時の2016年全国高校駅伝でも活躍が期待されたが、インフルエンザのために出場を断念した。
阿部 弘輝(あべ ひろき、1997年11月19日 - )は、… 阿部 弘輝(あべ ひろき、1997年11月19日 - )は、福島県須賀川市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。学法石川高校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。住友電工陸上競技部所属。 箱根駅伝7区の前区間記録保持者。2019年ナポリユニバーシアード男子10000m銀メダリスト。 中学時代は地元の陸上チーム「円谷ランナーズ」に所属した。同じ須賀川市出身の相澤晃としのぎを削りあった。 中学卒業後は相澤に誘われるかたちで学法石川高校に進学。全国高校駅伝では2年時に6区区間4位、3年時は1区区間10位と実績を残す。高校3年時には5000m13分57秒15を記録し、同期の相澤、1学年下の遠藤日向とともに「5000m13分台トリオ」として注目を集めた。
相澤 晃(あいざわ あきら、1997年7月18日 - )は、… 相澤 晃(あいざわ あきら、1997年7月18日 - )は、福島県須賀川市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。学校法人石川高等学校、東洋大学卒業。旭化成陸上部所属。10000mの元日本記録保持者。ハーフマラソンの東洋大記録、ニューイヤー駅伝旧3区の区間記録保持者。 大学4年時には学生三大駅伝全てで区間新記録を樹立。特に箱根駅伝では2区で史上初の1時間05分台を記録した。180cm近い身長と手足の長さ、そして体幹の強さが特徴である。 2024年3月、自身のSNSに挙式の写真を投稿し結婚していたことを報告した。
酒井 俊幸(さかい としゆき、1976年5月23日 - )は… 酒井 俊幸(さかい としゆき、1976年5月23日 - )は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。福島県石川郡石川町出身。学校法人石川高等学校、東洋大学経済学部卒業。 コニカミノルタ、学校法人石川高等学校教員を経て、東洋大学陸上競技部駅伝監督。 学法石川高時代は2年生の時に全国高等学校駅伝競走大会に出場。6区を区間10位で走り、順位を26位から22位に上げた。 東洋大学時代は1年時から箱根駅伝に出場し、4年時にはキャプテンを務めた。箱根駅伝では3度力走した。 関東学生陸上競技対校選手権大会で入賞の経験はあるが、当時の監督だった佐藤尚(現:東洋大学ヘッドコーチ)いわく「プレッシャーに弱い」選手だったという。