スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
神戸 拓光(こうべ たくみ、1985年2月23日 - )は、… 神戸 拓光(こうべ たくみ、1985年2月23日 - )は、茨城県牛久市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 小学1年生時に牛久リトルで野球を始める。 中学では龍ヶ崎シニアに所属し、投手として関東大会へ出場。 中学時代のシニアリーグでは大崎雄太朗と同じクラブに所属していた。 高校は土浦日大高校に進学し、外野手へ転向、4番として活躍。 土浦日大高から、流通経済大学へ進学。 大学では、経済学部経営学科に在籍。1年春の全日本大学野球選手権大会で最優秀新人賞を獲得した。大学通算14本塁打、ベストナイン5回。 大学時代は大変な酒豪として知られていた。チーズが大好物で、チーズプロフェッショナルの資格取得も考えている。
林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は… 林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は、茨城県出身の元社会人野球選手(外野手)。右投右打。 土浦日大高校から東都大学野球リーグの立正大学に進学したが、甲子園や大学選手権への出場経験はない。大学時代は、当時チームは東都の二部に低迷していたが、4年春に二部でシーズン9本塁打を記録し注目された。 大学卒業後の2002年に社会人野球の富士重工業に入部。持ち味である長打力を買われ、1年目から主軸を任された。翌2003年の第74回都市対抗野球大会では予選から打棒が爆発し、本大会でもチームを8強まで導いた。また2005年の第76回都市対抗野球大会では住友金属鹿島の補強選手として、これまたチームを8強に導く活躍を見せた。
小山田 保裕(おやまだ やすひろ、1976年7月27日 - … 小山田 保裕(おやまだ やすひろ、1976年7月27日 - )は、茨城県下館市(現:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜生まれ。土浦日大高では1年時からエースとして活躍し、秋は県大会準優勝も関東大会初戦で横浜高に敗退、2年夏は県大会ベスト4で秋は県大会準優勝したが関東大会初戦で桐蔭学園に完投するも惜敗。3年夏の県大会決勝では前年夏に続いて水戸商に惜敗し、準優勝。その後城西大へ進み、大学通算6勝、防御率3.08の活躍で、3年春にはリーグ優勝に貢献した。 1998年度ドラフト会議にて広島東洋カープから5位指名を受けて入団。 入団当初はオーバースローから150km/hを超える速球を投げる投手だった。
印出 順彦(いんで のりひこ、1968年10月16日 - )… 印出 順彦(いんで のりひこ、1968年10月16日 - )は、茨城県出身の元社会人野球選手、野球指導者、野球解説者。元東芝野球部監督。 土浦日大高では3年次に主将として第68回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後、二浪を経て1989年に慶應義塾大学に入学し野球部に所属。同期の赤池行平(長野高)、古葉隆明(広島城北高、古葉竹識の子)とともに"二浪トリオ" として活躍し、3年次の1991年、小桧山雅仁や若松幸司ら1学年上の投手陣を擁してリーグ戦春秋連覇。4年次の1992年、主将として、2年・井深有投手(韮山高、日本石油)を主戦に赤池、古葉のほか1年・髙木大成らの投打を擁して秋季リーグ優勝を果たす。
羽生田 忠克(はにゅうだ ただかつ、本名:羽生田 忠之(はに… 羽生田 忠克(はにゅうだ ただかつ、本名:羽生田 忠之(はにゅうだ ただゆき)、1964年5月1日 - )は、茨城県新治郡桜村(現:つくば市)出身の元プロ野球選手(外野手)、元野球指導者。 1983年から1988年までの登録名は本名である羽生田 忠之。プロ野球人生15年間のうちで10回リーグ優勝、5回日本一を経験。2022年からは鳥越アズーリFMにて毎月第1・第2・第3週の月曜日11:00より『基本的には野球の話』という自身初の冠番組に生放送で出演中。 土浦日大高では、1982年夏の甲子園県予選で決勝に進むが、鉾田一高の関清和に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 1982年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。
田中 毅彦(たなか たけひこ、1959年8月27日 - )は… 田中 毅彦(たなか たけひこ、1959年8月27日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 茨城・土浦日大高では、三塁手として1977年春の選抜に出場。1回戦で智辯学園の山口哲治に抑えられ敗退。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、大野久のいた取手二高に敗れる。 同年ドラフト6位でヤクルト入団。1982年限りで現役引退。 県予選、関東大会にて本塁打を連発、高校通算28本塁打、打率.471という成績を残す。元西鉄の怪童にあやかり「中西二世」と注目された県屈指のスラッガーだった。しかし、高校時代に打球を眼に当て手術を受けた後遺症もあって、プロでは戦力と成り得なかった。
工藤 一彦(くどう かずひこ、1956年5月20日 - )は… 工藤 一彦(くどう かずひこ、1956年5月20日 - )は、青森県生まれ、茨城県筑波郡谷田部町出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者。 土浦日大高校では、1974年春夏の甲子園にエースとして出場。いずれも高校として初出場であった。春の選抜では1回戦では新居浜商に勝利するが、2回戦で報徳学園に惜敗。夏の選手権は県予選決勝で松沼雅之がいた取手二高に勝利し出場。2回戦(初戦)で原辰徳らのいた東海大相模と延長16回の熱戦の末2-3xでサヨナラ負け。同年の茨城国体(水と緑のまごころ国体)にも出場し、決勝で土屋正勝のいた銚子商に勝利し、優勝を飾る。 高校同期では捕手の荒川俊男(巨人)、中堅手の林真人(阪神)がプロ入りしている。
大西 忠(おおにし ただし、1952年12月15日 - )は… 大西 忠(おおにし ただし、1952年12月15日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 土浦日大高校では3番で中堅手、主将。同級生で同じく阪急入りした高須正義が4番を打った。1970年ドラフト会議で阪急ブレーブスから8位指名を受け入団。 1974年に引退した。引退後は土浦市に在住。すし店を経営をしていた。
大室 勝美(おおむろ かつみ、1950年12月12日 - )… 大室 勝美(おおむろ かつみ、1950年12月12日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(外野手)。 土浦日大高から、社会人野球の日拓観光に入社するも4年で廃部となり、1972年にテストを受けてドラフト外で東映フライヤーズへ入団。翌年のキャンプイン直後に、社会人時代に在籍した日拓ホーム(日拓観光から社名変更)が東映から球団を買収し、日拓ホームフライヤーズと改名された。 1年目から1軍試合に出場し、この年は102試合に出場。2年目は86試合、3年目も79試合に出場した。1976年は38試合の出場に留まり同年に引退した。 引退後はフロント入りし、1997年からファイターズタウン鎌ヶ谷の開設にともなって鎌ヶ谷事業部業務部長に就任。