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鶴岡 昌宏(つるおか まさひろ、1957年5月6日 - )は… 鶴岡 昌宏(つるおか まさひろ、1957年5月6日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは外野手。 東洋大牛久高校を卒業した後に、東洋大学に入学する。在学中は投手のほかに外野手としても中軸を打った。2年上に達川光男、1年上に松沼雅之らがいた。 大学卒業後は社会人野球の日産自動車チームに入団する。当初は投手も兼ねていたが外野手専任となる。1982年の日本選手権大会と1990年の日本選手権大会では優秀選手に選ばれ、1990年には社会人ベストナインに選ばれた。また1991年の都市対抗野球では10年連続出場選手に選ばれれ、通算11年連続出場を果たした。1992年限りで現役を引退し、翌年はコーチを務めた。
菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - … 菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - )は、茨城県稲敷郡江戸崎町(現・稲敷市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。 東洋大牛久高では、1972年夏の県大会を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進む。先発投手として銚子商業高の根本隆と投げ合うが惜敗した。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社した。都市対抗野球に出場し、社会人ベストナインにも2度選出される。1978年の都市対抗野球では3本塁打を放ち、チームの優勝に貢献した。同年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受けるが入団を拒否し、チームに残留した。この時の3位指名が落合博満だったが、社会人時代は東芝府中所属だった落合よりも菊地の方が評価が高かった。
金井 元三(かない もとみ、1949年5月14日 - )は、… 金井 元三(かない もとみ、1949年5月14日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 東洋大牛久高校から、1967年にドラフト外でサンケイアトムズへ入団。 1970年、5試合に右翼手、左翼手として先発出場。同年にはジュニアオールスターゲームにも選出、イースタン・リーグベストナイン。しかし、その後は一軍での出場機会に恵まれず、1971年限りで引退した。