スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は… 長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は、栃木県塩谷郡氏家町(現:さくら市)出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 さくら市立氏家中学校時代は硬式野球の『栃木さくらボーイズ』でプレーした。 佐野日本大学高校では2年夏ごろから球速が大幅に向上し、2年秋はエースナンバーを背負い、県大会では自己最速の143km/hを計測したが、青藍泰斗との準決勝で敗退。その後は新型コロナウイルスの影響で部活動の自粛を余儀なくされ、寮を離れて自宅で過ごすよう指示され、自主練習の時間を十分に確保するのも難しい状況で、本人は「環境のせいにしてはいけない。自分の甘さが出てしまって、努力が足りなかった」と当時を振り返り、3年時の球速は140km/h前後で停滞した。
五十幡 亮汰(いそばた りょうた、1998年11月27日 -… 五十幡 亮汰(いそばた りょうた、1998年11月27日 - )は、埼玉県行田市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 父親の影響で行田市立東小学校1年時に軟式野球を始め、6年時には東京ヤクルトスワローズジュニアでプレー。行田市立長野中学校在学中は、硬式野球のクラブチームである東京神宮リトルシニアに所属した。3年時には、藤平尚真・石原彪などと共に日本代表としてWBSC U-15ワールドカップに出場している。 その一方で、中学生時代には陸上短距離走の選手としても活躍。全国大会での優勝も経験していた(後述)ため、陸上競技部の顧問からは、陸上競技の強豪に当たる高校への入学を勧められていた。
田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃… 田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 父親の影響を受け、小学校から宝木ファイターズで軟式野球を始め、6年時にエースとして県大会で優勝をする。中学校では硬式野球の鹿沼ボーイズに所属し、3年に世界大会に出場した。 佐野日本大学高等学校では1年夏からベンチ入りして、1年秋から背番号11ながら主戦を任され秋・春連続で関東大会進出。2年秋から背番号1を背負い、2年秋の関東大会では淺間大基・髙濱祐仁を擁する横浜高校を破り関東大会ベスト4に進出し、選抜出場を決める。3年春の選抜大会に出場すると、1回戦の鎮西戦で完封勝利。
弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木… 弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 身長は193cmで、2021年に阿部剣友に抜かれるまではNPBの日本人左腕投手で歴代最長身であった。 実家では祖父から2代にわたってラーメン店を経営。佐野市立吉水小学校で野球を始め、佐野市立田沼東中学校時代は佐野シニアに所属。佐野日本大学高校に進学すると2年春からベンチ入りし、3年春からはエースを務めたが、甲子園球場の全国大会とは無縁であった。野球部の2年後輩に田嶋大樹がいる。 日本大学への進学後は肩や肘の故障もあり、入学から2年間での公式戦登板はわずか1試合のみであった。4年になると頭角を現し、4年秋では初の完封勝利を挙げるなど2勝0敗・防御率1.93という好成績で敢闘賞を受賞し、チーム25季ぶり(2004年春以来)となる東都大学1部リーグ優勝に貢献した。
西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は… 西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年の時に荒川沖サニーズで野球を始めると、土浦市立土浦第三中学校時代は土浦シニアに在籍。佐野日本大学高等学校への進学後は、1年秋からのベンチ入りを経て、2年秋からダブルエースの1人として活躍した。3年夏の選手権栃木大会では、栃木県立鹿沼商工高等学校戦との準々決勝でダブルエースによる完封リレーを達成。救援で登板した西宮は、キレのあるスライダーとストレートで、鹿沼商工打線を寄せ付けなかった。しかし、栃木県立宇都宮工業高等学校との準決勝に敗れ、在学中には春夏とも甲子園球場の全国大会に出場できなかった。
板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、… 板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、栃木県栃木市出身の日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。日米の複数の独立リーグ球団でプレーした。 佐野日本大学高等学校を経て日本大学に進むが、中退した。2010年にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のトライアウトを受験し、信濃グランセローズから12月のリーグドラフトで指名を受ける。 2011年は43試合に出場して打率.271の成績だった。翌2012年のシーズン開幕後に信濃を退団、5月21日に同じリーグの富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)に入団した。 2013年シーズン開幕前にアメリカ合衆国のテキサス・ウィンターリーグでテキサス・サンダー(英語版)に派遣され、首位打者を獲得した。
金伏 ウーゴ(かなぶし ウーゴ、1989年5月22日 - )… 金伏 ウーゴ(かなぶし ウーゴ、1989年5月22日 - )は、ブラジルパラナ州アルト・パラナ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 日系三世で、ブラジル国籍を有する。ただし、日本国内の大学(白鷗大学)に4年間在籍した後に、ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズへ入団した。そのため、NPBでは外国人枠が適用されず、日本人選手と同じ扱いを受けている。 2012年と2016年以降は、名前の「ウーゴ」を登録名に使用していた。 5歳から野球を始め、14歳の時に硬式野球世界大会のブラジル代表に4度選出された。2004年に日本で開催された大会では、団体3位、個人ではベストナインに選出され、その活躍をスカウトに認められ来日した。
澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は… 澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は、栃木県栃木市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 投手として読売ジャイアンツでは4度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで最多セーブ投手の個人タイトルを1度獲得した他、新人王を獲得している。 メディアによっては新字体の沢村 拓一の表記も見られる。 小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという。栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま栃木大会決勝で敗退。高校の先輩で、中央大学OBでもある会田有志の勧めもあって中央大学硬式野球部を受験した。
江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広… 江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。実弟は千葉ロッテマリーンズコーチの江村直也。 福山市立常金中学校から栃木県の佐野日大高に進み、3年時の夏は背番号1を背負うも登板機会はなく、チームは栃木県予選2回戦で國學院栃木高に敗退した。甲子園出場経験はなし。1学年下に澤村拓一、2学年下に金伏ウーゴがいる。 日本大学に進学すると東都大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。3年時の秋からリーグ戦に登板。同期に十亀剣がいる。 大学卒業後は、広島の社会人野球・ワイテックに入団。1年目の2010年から公式戦に登板し、3年目の2012年、第83回都市対抗野球大会に伯和ビクトリーズの補強選手として出場。
会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、… 会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 3人兄弟の三男であり、父は元ヤクルトスワローズ投手の会田照夫。母は元モデルでCMや雑誌などで活動していた。兄はエコノミストの会田卓司。叔父(母の弟)は元ヤクルト捕手の尾崎亀重で、その息子(会田有志の従弟)は元大相撲力士の隆乃若(最高位は関脇)。 実家は代々木材店を経営しており父の照夫がプロ野球選手引退後、家業を継いでいた。小学校3年生の時、日本テレビ系で放映されていた『ルックルックこんにちは』内の人気コーナー「突撃!隣の晩ごはん」に出演したことがある。その時、会田は「プロ野球選手になって、勝ちたい」と宣言していた。
谷村 逸郎(たにむら いつろう、1974年7月30日 - )… 谷村 逸郎(たにむら いつろう、1974年7月30日 - )は、日本の元社会人野球選手(投手、左投げ左打ち)である。三菱ふそう川崎に所属していた。181cm、90kg。現役時代の背番号は19。 佐野日大高(1990~1992)→日大(1993~1996)→三菱ふそう川崎(1997~2008)
麦倉 洋一(むぎくら よういち、1971年7月29日 - )… 麦倉 洋一(むぎくら よういち、1971年7月29日 - )は、栃木県下都賀郡都賀町(現:栃木市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。 中学時代にテレビ番組『ビートたけしのスポーツ大将』に出演したけし軍団と対決し1安打完封、ビートたけしに「君はプロでやっていける」と絶賛された。 佐野日大高では3年時に48イニング連続無失点や、栃木県予選では全試合無失点を記録し、同校初となる夏の甲子園への出場に貢献し、球威のあるストレートがプロ野球のスカウトの注目を浴びた。甲子園の大会の初戦は開会式直後の開幕戦であり、その試合で打ってはその試合唯一の得点となる決勝本塁打、投げては完封勝利を挙げ、1-0で近大福山高に勝利した。
戸羽 隆(とば たかし、1970年8月27日 - )は、栃木… 戸羽 隆(とば たかし、1970年8月27日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 佐野日大高では1年秋の県大会準決勝で延長10回の末に敗れたが3位決定戦では小倉恒は先発した鹿沼商工に7回コールド勝ちで関東大会出場してベスト8。2年秋は県大会準決勝で本塁打を放ち、マウンドにも上がるが延長11回で敗れた。1学年下に麦倉洋一がいた。1988年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブレーブスから5位指名を受け入団。 プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たすが、1992年オフに現役を引退。現役時は肩と膝の故障に悩まされていた。 引退後は、2年間ほど会社員を務め、湯河原カンツリー倶楽部所属の研修生を経て、インドアゴルフスクール・ゴルフパーク小田原で講師を務めている。