スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
清水 大暉(しみず だいき、2006年7月17日 - )は、… 清水 大暉(しみず だいき、2006年7月17日 - )は、群馬県渋川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校1年生のときに『渋川エンジェルス』で野球を始め、渋川市立古巻中学校では軟式野球部でプレー。中学時代には渋川北群馬選抜に選ばれ、関東大会に出場した。 前橋商業高校では、入学直後の4月中旬に左膝半月板を損傷して手術を受け、リハビリは7か月に及んだ。2年春からベンチ入りすると、2年夏の群馬大会では抑えとして4試合に登板し、計8回を1失点に抑えてチーム13年ぶりとなる甲子園大会へ出場。甲子園では背番号11を付け、クラーク国際との初戦で8回から登板したが、味方の失策も絡んで2/3回で降板し、チームはこの回に5点を失って敗退した。
井上 温大(いのうえ はると、2001年5月13日 - )は… 井上 温大(いのうえ はると、2001年5月13日 - )は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 前橋市立岩神小学校1年生時に岩神リトルファイターズで野球を始め、前橋市立大胡小学校3年生時にはリトル大胡スターズに所属。前橋市立大胡中学校では軟式野球部に所属していた。 前橋商業高校進学後、1年秋からベンチ入りし、主力投手として活躍。3年春の群馬県大会準々決勝で健大高崎高校相手に5回無失点の好投を見せ、注目を集めた。3年夏は背番号1を背負って、同校9年ぶりの群馬県大会決勝進出に貢献。決勝戦では前橋育英高校に8回途中3失点の粘投も敗れ、甲子園には届かなかった。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから4位で指名され、契約金4000万円、年俸540万円(金額は推定)という条件で入団した。
後藤 駿太(ごとう しゅんた、1993年3月5日 - )は、… 後藤 駿太(ごとう しゅんた、1993年3月5日 - )は、群馬県渋川市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。 渋川市立豊秋小学校1年時に、豊秋ジュニアホークスで野球を始める。渋川市立渋川中学校3年時には、エースとして、チームを群馬県大会3位に導いた。 前橋商業高等学校への入学を機に外野手へ転向。1年時の秋から1番打者を務めると2年時には第81回選抜高等学校野球大会へ、3年夏の群馬県予選では、4割を超える打率でチームを牽引した末に第92回全国高等学校野球選手権大会へそれぞれ出場した。高校通算18本塁打。走攻守三拍子そろったプレースタイルから、「上州のイチロー」、「群馬のイチロー」の異名をとった。
篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )… 篠田 純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は広島東洋カープの一軍マネージャーを務めている。 横浜市立生麦小学校1年時に、横浜市鶴見区軟式少年野球連盟・生麦中部スターズで一塁手兼投手で野球を始める。野球を始めたきっかけは、「近所で野球をやっていた友達から誘われたから。本当はサッカーと迷っていたが、1番仲のいい友達の勧めだったので…。」と述べている(出典:プロ野球ai2008年9月号)。中学から前橋市へ転居し、前橋市立第五中学校を経て、前橋商業高校に進学する。 4番・一塁手で出場し、投手も務めた3年夏の県大会決勝で久米勇紀(元読売ジャイアンツ)を擁する桐生第一高校に敗れて全国高等学校野球選手権大会出場はならなかった。
青栁 博文(あおやぎ ひろふみ、1972年〈昭和47年〉6月… 青栁 博文(あおやぎ ひろふみ、1972年〈昭和47年〉6月1日 - )は、群馬県吾妻郡東吾妻町出身の高校野球指導者、社会科・福祉科教諭。 高崎健康福祉大学高崎高等学校社会科、福祉科教諭。 群馬県立前橋商業高等学校3年春には選抜大会に出場。 東北福祉大学に進学。大学では和田一浩と同期だった。 大学卒業後は一般就職し、日産系部品会社の軟式野球部で4年間プレー。その後は建設会社の総務職として働き、硬式野球クラブでプレー。 高校時代の恩師から群馬女子短期大学附属高等学校が校名変更と共学化し、野球部を創設する話を聞き、通信教育を利用し、教員免許を取得。2002年4月から前年に共学化された高崎健康福祉大学高崎高等学校に赴任し、創設された硬式野球部の監督に就任。
五十嵐 章人(いがらし あきひと、1968年4月12日 - … 五十嵐 章人(いがらし あきひと、1968年4月12日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手・監督・野球解説者。 全ポジションでの出場(高橋博士以来、日本プロ野球史上2人目)、全打順本塁打(同6人目)の記録を達成した選手として知られる。この両方を達成しているNPB史上で唯一の選手。また、全打順での先発出場及びその上での本塁打も記録している。 木田優夫とは従弟にあたる(木田の父と五十嵐の父が兄弟)。 父親は競輪選手だったが、当人が物心ついた時には既に引退して大工に転職していたという。二人の兄の影響で小学1年生から野球を始める。前橋市立第三中学校時代は投手兼内野手だったが、高校では野手に専念。
小林 和公(こばやし かずひろ、1967年1月14日 - )… 小林 和公(こばやし かずひろ、1967年1月14日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、日本野球機構審判部所属のプロ野球審判員、審判員番号「14」。 前橋商業高から淑徳大学に進学し千葉県大学野球リーグで4年秋に2部で優勝してMVP、ベストナイン。1988年オフにドラフト外でヤクルトスワローズ入団。担当は安田猛スカウト。 一軍公式戦への出場がないまま、1991年限りで現役を引退。 1993年から、セントラル・リーグ審判員となる。審判番号は入局から2003年まで40だったが、2004年から14。 珍しい左利きの審判である。アウトをジャッジする際は右手で行うがクロスプレー時のパンチアウトはマスクを持ち替え左手で行う審判員の中では小林と木内九二生、青木昴、川上拓斗審判員のみである。