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厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )… 厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。 2001年までの登録名表記は厚沢 和幸。 浦和市立上大久保中学校(現:さいたま市立上大久保中学校)で野球を始め、大宮工業高校では2年秋からエースとなる。3年夏の県大会は4回戦で敗退した。東都大学野球の国士舘大学に進み、1年春からベンチ入り。4年春に2部でMVPとなり、入替戦では初戦で西口文也と投げ合って勝利し、東都大学野球リーグ1部昇格の原動力となる。東都1部通算9試合に登板、3勝3敗、防御率1.88。また2部通算37試合に登板、10勝8敗、防御率2.85。
関口 伊織(せきぐち いおり、1971年10月26日 - )… 関口 伊織(せきぐち いおり、1971年10月26日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)。2013年より東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラー。 熊谷市で鉄工所の経営者の長男として生まれる。小学4年の時に野球を始める。富士見中学ではエースとして県大会で3位になり、誘いを受けて大宮工業に進学。2年秋からエースになる。3年夏の埼玉大会ではベスト16で敗れたが、速球を評価され読売ジャイアンツ(巨人)や西武ライオンズから獲得の打診もあったという。しかし、高校野球部の監督の勧めもあって東洋大学へ進学。 東洋大野球部では1学年下に1年春のリーグ戦でMVPを獲得した銭場一浩の存在などもあってすぐに起用は増えなかったが、3年秋にはリーグ戦で完封勝利を挙げている。
新井 克太郎(あらい かつたろう、1959年10月22日 -… 新井 克太郎(あらい かつたろう、1959年10月22日 - )は、埼玉県戸田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 大宮工業高時代は、1年次の夏前に野球部を退部する。以降は、知り合いが所属する軟式野球チームで遊びでプレーするだけであった。 3年次に、たまたま新聞で見た大洋ホエールズの新人入団テストを腕試しに受験する。200人の中から新井を含めた2人が合格し、1977年オフにドラフト外として入団した。 4年目の1981年に、一軍初登板を果たす。通算6試合目となった8月31日の対中日ドラゴンズ戦で初先発を果たし、149球を投げ5安打1失点でプロ初完投初勝利を記録した。しかし、2度目の先発となった9月6日の対中日ドラゴンズ戦では早々に打込まれ降板。
佐藤 敬次(さとう けいじ、1950年9月22日 - )は、… 佐藤 敬次(さとう けいじ、1950年9月22日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。 大宮工業高校では1968年に春夏の甲子園に出場。春の選抜では、エース吉沢敏雄や左翼手、四番打者の布施章(松下電器-日本通運-全大宮)の活躍もあって勝ち進む。準決勝では箕島高の東尾修を打ち崩し、決勝では吉沢と尾道商の井上幸信との投手戦を制し、「初出場初優勝」の快挙を成し遂げた。しかし吉沢の控え投手であった佐藤はこの大会で登板機会がなかった。夏の選手権は2回戦で津久見高の石井吉左衛門(鐘淵化学)に抑えられ敗退するが、この試合で吉沢をリリーフし甲子園初登板を果たす。他の高校同期では、外野手の石井清一郎(阪急)、控え投手の奈良正雄(ロッテ)がプロ入りしている。
吉沢 敏雄(よしざわ としお、1950年 - 2014年11… 吉沢 敏雄(よしざわ としお、1950年 - 2014年11月28日)は、日本の静岡県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、内野手。 静岡県の天竜市二俣町(現・浜松市天竜区二俣町)出身。埼玉県の大宮工業高校では1968年にエースとして春夏の甲子園に出場。春の選抜では左翼手、四番打者の布施章(松下電器-日本通運-全大宮)の活躍もあって勝ち進む。肩痛や発熱に悩まされながらも好投。準決勝では打線が箕島高の東尾修を打ち崩し、決勝は尾道商の井上幸信との投手戦を制し、「初出場初優勝」の快挙を成し遂げた。夏の選手権は2回戦で津久見高の石井吉左衛門(鐘淵化学)に抑えられ敗退。他の高校同期では、外野手の石井清一郎(阪急)、控え投手の佐藤敬次、奈良正雄(ロッテ)がプロ入りしている。
高橋 昭雄(たかはし あきお、1948年6月8日 - 202… 高橋 昭雄(たかはし あきお、1948年6月8日 - 2022年9月7日)は、埼玉県出身のアマチュア野球選手、野球指導者である。ポジションは捕手。旧姓は佐藤。 大宮工業高校では、捕手として1965年秋季関東大会県予選決勝に進むが、大宮高に敗退。卒業後は東洋大学に入学。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、3位2回が最高成績であった。大学1年上に会田照夫、細川昌俊がいた。 大学卒業後に社会人野球の日産自動車に入社するが、僅か1年で退団した。 1972年から23歳という若さで母校の東洋大学の監督に就任した。1970年代は駒澤大や中央大が強く、東都大学野球リーグ戦では例年2位に甘んじていた。 1976年の秋季リーグで、松沼雅之投手 - 達川光男捕手のバッテリーで初の1部優勝を遂げた。
石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没… 石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮工業高校から東京鉄道管理局を経て、1950年に設立された国鉄スワローズへ入団。1952年に引退。