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窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日… 窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 市立銚子高では一塁手兼第2投手であった。第1投手は長谷川昌幸。 大学は帝京大学に進学し、硬式野球部に所属。3年生まで首都大学リーグ戦未登板であったが、スリークォーターから投じる140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にして、4年生時に大学エースとなる。当時の監督が日産自動車コーチ時代に川尻哲郎を指導しており、その川尻と近い投球フォームにして開花したという。通算10試合登板、5勝2敗。1学年先輩に愛敬尚史、里崎智也がいた。 1999年11月19日に開催されたドラフト会議にて6巡目で阪神タイガースから6位指名を受け、入団。
長谷川 昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日 - … 長谷川 昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手(投手)。 市立銚子高時代には、2年秋県大会ベスト8。PL学園の福留孝介、南京都高校の斉藤和巳とともにドラフトの注目株とされ、投手では星野智樹(四日市工)を含めてビッグ3と呼ばれた。3年夏は県大会初戦で14奪三振を記録したが4回戦で敗れた。2番手投手に窪田淳がいた。1995年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けて入団。 1997年8月10日の対阪神戦(広島市民球場)でプロ初登板初先発勝利を収める。 2001年には9勝(対阪神に対して5勝)を挙げ、期待の若手投手として頭角を表す。 2002年は細身の体から投げ込むストレートと切れ味鋭いカーブを武器に自己最多・チームトップの13勝を挙げる。
石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、… 石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 市立銚子高では、2年生の時、1987年夏に行われた千葉大会準決勝に進むが、東海大浦安高に7回コールドで敗退。秋は県大会準優勝したが、関東大会で初戦敗退。 ドラフト会議前には読売ジャイアンツから打診があったが、結局指名はなく内定していた社会人野球の住友金属鹿島へ進むことを決意するも、城之内邦雄スカウトから接触があり、1988年オフにドラフト外で巨人に入団。 肘の故障があったため、専らリリーフ投手として活躍。東京ドームで行われた1990年のジュニア日本選手権で中日ドラゴンズの清水雅治にサヨナラ本塁打を浴びている。
銚子 利夫(ちょうし としお、1961年8月24日 - )は… 銚子 利夫(ちょうし としお、1961年8月24日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 野球を始めたのは実兄の銚子洋二(市立銚子高-早大)の影響で、最初は内野手であったが、市立銚子高校2年次の1978年秋に投手へ転向。3年次の1979年には夏の甲子園にエース兼4番打者として、チームを初出場に導いたが、結果は初戦で高知高に敗退。高校生時代には、自身の苗字と校名が同じことにちなんで、「銚子高校の銚子君」と呼ばれた。同年のドラフトで近鉄バファローズから投手として4位で指名されたものの、入団を固辞。 高校卒業後の1980年に法政大学へ進学し、内野手へ再び転向。東京六大学野球リーグでは在学中4回優勝。
遠藤 伸久(えんどう のぶひさ、1957年11月5日 - )… 遠藤 伸久(えんどう のぶひさ、1957年11月5日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(投手)。 市立銚子高では2年生の時、1974年の秋季関東大会県予選準々決勝で千葉商からノーヒットノーランを記録。県予選決勝に進出するが小川淳司を擁する習志野高に敗退。翌1975年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、君津高に敗れた。1年上のチームメートに石毛宏典、同期には投の二本柱であった銚子洋二(早大、銚子利夫の兄)がいた。 本格派左腕と期待され、1975年オフにドラフト外で阪神タイガースへ入団。なかなか一軍に上がれなかったが、プロ5年目に永射保、村田辰美らの投法をヒントに、フォームをオーバースローからサイドスローに改造。
石毛 宏典(いしげ ひろみち、1956年9月22日 - )は… 石毛 宏典(いしげ ひろみち、1956年9月22日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家、YouTuber。 日本における独立リーグの創設者・運営者としても知られ、IBLJを設立し、初代代表取締役を務めた。愛称は「ミスターレオ」「ハチ」。 現役時代は主に西武ライオンズで活躍し、1996年に福岡ダイエーホークスで現役引退後、同球団の二軍監督・オリックス・ブルーウェーブの監督などを経て、2004年に四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)を創設し、2009年創設の関西独立リーグ (初代)でも最高顧問を務めた。 2009年より城西国際大学客員教授。
坂本 照彦(さかもと てるひこ)は、日本の元アマチュア野球選… 坂本 照彦(さかもと てるひこ)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手。 市立銚子高校では、2年秋の県大会決勝で習志野高のエース・小川淳司に完投で敗れた。3年生時に1976年夏の県大会で、宇野勝や尾上旭らがいた銚子商に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同期の投手に遠藤伸久がいた。 同年のドラフト会議で大洋ホエールズから4位指名されたが入団を拒否。 高校卒業後は駒澤大学に進学。東都大学野球リーグでは在学中3回優勝。2年生から渡部一治の後継として三塁手に抜擢され、2学年上の高校先輩である石毛宏典と三遊間を組んで1978年春・秋季リーグに連続してベストナインに選ばれた。主将となった1980年春季リーグは一塁手として同期のエース高久孝(日本楽器)を擁し、3年振りの優勝を飾る。