スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は… 古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校2年時に野球を始め、所属チームの人数が少なかったこともあり、投手を務める。鎌ヶ谷市立第二中学校時代は県大会ベスト8が最高成績だった。 高校は習志野高校に進学。1年秋からベンチ入りし、2年夏の千葉大会では4回戦や準々決勝で先発登板を果たした。木更津総合との決勝では救援登板したが、打者2人に対し1安打1四球で降板している。2年秋には背番号16ながら、県4強入りに貢献し、この頃からプロを意識し始めた。3年春にはエースナンバーを初めて着け、関東大会出場に貢献。3年夏の西千葉大会は背番号10でベンチ入りし、4回戦で7回に初登板すると、3回無失点の好投を見せる。
池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は… 池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 八千代市立八千代台小学校1年の時に北東タイガースで野球を始めた。6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、NPB12球団ジュニアトーナメントにも出場した。八千代市立八千代中学校時代は東都京葉ボーイズに所属し、主に遊撃手を守った。 習志野市立習志野高等学校では2年秋から三塁手のレギュラーを獲得。3年夏の千葉県大会は、準決勝の検見川戦で先頭打者本塁打を放つなど打率.455と活躍し、チームは決勝に進出したが、山下輝擁する木更津総合に3-4で敗れ、甲子園に出場することはできなかった。
齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は… 齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。高知ファイティングドッグス所属。NPBでは育成選手だった。 中学時代は、千葉市リトルシニアでプレー。同期に、藤平尚真や中村亮太がいた。 習志野高時代は、3年次は背番号7の控え遊撃手としてプレー。千葉県予選ベスト4で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。当時から強肩であり、投手として最速136km/hを計測していたが、公式戦は未登板であった。 東京情報大学のセレクションを受ける際、習志野高の小林徹監督から投手での受験を勧められ、本人も高校通算0本塁打で野手としては通用しないと思ったため、大学から投手に転向する。
郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、… 郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、千葉県成田市出身のプロ野球審判員。袖番号は8。 小学2年から橋賀台サンダーズで野球を始め、千葉ロッテマリーンズの選抜メンバーとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。成田市立西中学校時代には佐倉リトルシニアで全国大会に出場。 習志野高校に進学し、外野手としてプレーしていたが、3年夏の千葉大会で、一塁へのヘッドスライディングの際に右肩を脱臼。決勝で木更津総合に敗れたあとも痛みが引かず、硬式野球の引退を決断した。しかし、高校時代に紅白戦で審判を経験し、選手として見てきたものとは異なる野球の見え方があることに気づき審判員に興味を抱くようになる。
福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は… 福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は、千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年生の時に「松尾キングスターズ」で野球を始め、当時は投手と遊撃手。松尾中学校時代は「九十九シニア」で投手としてプレーした。習志野高校では1年生で主に中堅手のレギュラーになった。2年生時の春の選抜大会の1回戦で「7番・中堅手」、2回戦では「4番・中堅手」で先発出場し、計8打数3安打1本塁打1打点、打率.375の成績だった(チームは2回戦敗退)。3年生時の夏の甲子園・千葉大会では準決勝で成田高校に3-4で敗れた。野球部の同期には山下斐紹がいる。 中央大学では1年生時の春に中堅手のレギュラーを獲得し、2年生時の秋季リーグで東都大学野球リーグのベストナイン(外野手)を獲得した。
上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、… 上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者、実業家。株式会社FROM BASE.代表取締役。大正大学硬式野球部コーチ。NPBでは育成選手であった。 中学時代は船橋リトルシニアでプレイ。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。高校は千葉の名門で数々のプロ野球選手がいる習志野市立習志野高等学校に進学。3年になってからはエースで活躍。3回戦でその年Aシードだった我孫子を相手に2安打完封に抑え、身長が192cmだったこともあり長身ピッチャーとして注目された。しかし続く4回戦で専大松戸に1-0で敗退した。
松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )… 松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(捕手)。 習志野市立習志野高等学校(同級生に玉田圭司・吉野智行ら)から、1998年のドラフト7位で大阪近鉄バファローズに指名され入団。 一軍での試合出場がないまま、4年目の2002年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。 引退後の2003年からは近鉄でブルペン捕手を務めていたが、2004年限りで球団が消滅。 翌2005年、新規参入を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスに入り、2014年までブルペン捕手を務めた。その間、2008年には北京オリンピック野球日本代表のチームスタッフも務めた。 2015年から二軍用具係に異動となり、2016年からは二軍マネージャーを務めた。
福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )… 福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(内野手、左投左打)。 現役時代は地元出身のフランチャイズ・プレイヤーとして千葉ロッテマリーンズに26年間所属。球団史上3人目の2000安打達成者であり、「幕張の安打製造機」の異名をとった。 熊本県出身の父と千葉県生まれの母との間に、当時の東葛飾郡浦安町に生まれ、4歳の時に習志野市に転居した。習志野市立大久保東小学校1年の時に父の影響で野球を始め、習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属。この頃はテレビで巨人の試合をよく観ていて、篠塚和典や吉村禎章らに注目していた。また、小学6年生の頃から習志野高校を志望し、プロ野球選手を夢見るようになったという。
花島 寛己(はなしま よしき、1973年6月16日 - )は… 花島 寛己(はなしま よしき、1973年6月16日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(投手)。 習志野市立大久保小学校、習志野市立第二中学校出身。地元の少年野球チーム「オール大久保」では投手のほか、一塁手や中堅手も経験したが、第二中学時代は投手に専念し、県大会優勝に貢献した。習志野高校では2年春に県大会優勝すると関東大会準々決勝で先発したが横浜高に敗れる。なお、高校の2学年先輩には野口寿浩がいた。 高校3年生の夏以降、翌1992年から地元・千葉県の千葉マリンスタジアムを本拠地とすることを決めていた千葉ロッテマリーンズ(旧ロッテ・オリオンズ)から同年のプロ野球ドラフト会議で指名することを打診する話があり、花島本人もドラフト会議前からロッテ入団を希望していた。
野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は… 野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。右投右打。野球解説者。PAMSとマネジメント契約を結んでいる。 習志野高時代はチームとしては1年夏に甲子園出場もメンバー外。3年春は県大会準優勝で関東大会ベスト8。夏は千葉大会準決勝で押尾健一を擁する成東高に敗れ、ベスト4。高校通算11本塁打。高校の2学年後輩には花島寛己がいた。 石井好博監督と当時ヤクルトスワローズのスカウトだった安田猛が、早稲田大学野球部の先輩後輩の関係であり、ヤクルト入団意思が固いと他球団は手を引き、1989年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 1年目はドラフト外の高卒ルーキーながら、二軍で59試合に出場し、.292、0HR、23打点を記録するなど、いきなりレギュラーに定着する。
城 友博(じょう ともひろ、1969年4月30日 - )は、… 城 友博(じょう ともひろ、1969年4月30日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在はアスリート学生就活サポート「J-SHIP」の代表取締役社長。 中学時代は捕手としてプレーした。習志野高校時代は、3年次の1987年に1番・センターで第69回夏の甲子園に出場し、チームはベスト8まで勝ち進む。俊足を評価され、同年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受けて入団。 1990年シーズンにはイースタン・リーグで盗塁王と最多安打を獲得し、一軍初出場も果たす。 1991年シーズンにもイースタン・リーグで盗塁王を獲得した。 1992年シーズンに一軍に定着すると83試合に出場し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
大塚 賢一(おおつか けんいち、1968年8月3日 - )は… 大塚 賢一(おおつか けんいち、1968年8月3日 - )は、埼玉県上尾市生まれ・千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、立川市内の野球用品店「Ken's Glove」店主。 習志野高から1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから4位指名を受け入団。 プロ2年目の1988年に一軍登板を果たす。1990年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。 1991年12月、ダイエーのドラフト10人指名の余波を受け本村信吾、山田武史とともに保留選手名簿に記載されたにもかかわらず解雇通告を受けた。本村の提訴により本村は参稼報酬同額の補償裁定(1991年の年俸と同額)を勝ち取り、同じく山田は参稼報酬の9割相当額(1991年の年俸の9割)で和解が成立しているが、大塚は現役続行を希望し広島東洋カープのテストを受け合格し入団した。
後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、… 後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。 習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する。 1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向。 1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍。 1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。
小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、… 小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。千葉県出身。現役時代は投手。 習志野市の生まれ。習志野三中で野球を始め、習志野市立習志野高等学校では石井好博の指導を受けた。1年時の6月に不祥事が発覚して、7月から1年間の対外試合禁止処分を受けた経験がある。1980年、3年生の時に4番エースとして第62回全国高等学校野球選手権大会に出場した。青山学院大学でも投手を務めた。 1985年に商業科教諭として船橋市立船橋高等学校に赴任し、同校の野球部コーチとなった。1990年からは監督に就任。1993年に甲子園春夏連続出場し、1996年からは3年連続で選手権大会出場を果たした。
小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は… 小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・監督・コーチ、野球評論家。現役引退後に、東京ヤクルトスワローズの一軍監督を2期(通算6年半)歴任。1期目と2期目の間(2015年 - 2017年)にはシニアディレクター、2期目終了後の2020年から2025年までゼネラルマネージャーを務めていた。 中学校在学中は三塁手だったが、目立った実績を残せないまま地元校の習志野高に進学。大柄な体格と強肩の持ち主であったため、進学の直後は捕手に回っていた。チーム内から故障者が出たのをきっかけに、1年時の秋から投手に転向。「肋間神経痛を抱えていても走り込みを休めなかった」というほどの猛練習を経て、エースの座をつかんだ。
掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、… 掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、新潟県三条市生まれ、千葉県千葉市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・評論家、タレント、YouTuber。大阪府豊中市在住。阪神タイガース現役時代から(4代目)「ミスタータイガース」と称された。 1988年の現役引退後は、野球解説・評論活動を経て、2013年シーズン終了後にゼネラルマネジャー(GM)付育成&打撃コーディネーター→球団本部付 - (Development Coordinator〈略称:DC〉)として阪神に復帰。2016年から2シーズンにわたって二軍監督を務めたのち、2017年11月1日から2年間、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(Senior Executive Advisor〈略称:SEA〉)として活動した。
醍醐 恒男(だいご つねお、1949年11月22日 - )は… 醍醐 恒男(だいご つねお、1949年11月22日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 習志野高校では3年次の1967年、捕手・4番打者として同期の石井好博とバッテリーを組み、東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破って夏の甲子園に出場。準々決勝の富山商戦では5安打を記録し、決勝では広陵高の宇根洋介(近大 - 電電中国)から適時三塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝に貢献。他の高校同期に3番打者の池田和雄外野手がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてアメリカ西海岸・ハワイ遠征に参加し、打力とインサイドワークに優れた捕手として期待され、1967年のドラフト6位で阪急ブレーブスに入団。
池田 和雄(いけだ かずお、1949年 - )は、千葉県出身… 池田 和雄(いけだ かずお、1949年 - )は、千葉県出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 習志野高校では外野手、三番打者として活躍。1967年に同期の石井好博、醍醐恒男のバッテリーを擁し、東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破って夏の甲子園に出場。準決勝で中京商の川口勉から本塁打、決勝でも広陵高の宇根洋介(近大 - 電電中国)から先制の2点本塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝を飾る。同年のドラフト会議で東京オリオンズから11位指名を受けるが入団を拒否。 高校卒業後は慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、萩野友康、長谷部優らの好投もあり、1971年秋季リーグから3季連続優勝。
斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千… 斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 習志野高校出身。千葉県の高校では遊撃手No.1の評判だった。また韓国高校選抜軍対全関東高校の試合に選抜され、5打数5安打を放つ。関東球界では大型内野手として注目されていた。高校同期には後に中日ドラゴンズで活躍する谷沢健一がいる(谷沢とは高校時代に3、4番のクリーンアップコンビを形成していた)。1965年夏の甲子園県予選準決勝では、銚子商の木樽正明(後にロッテ・オリオンズ入り)に抑えられ敗退するが、木樽から3安打を放っている。銚子商は夏の甲子園で準優勝。 1965年プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスへ2位指名で入団。
谷沢 健一(やざわ けんいち、1947年9月22日 - )は… 谷沢 健一(やざわ けんいち、1947年9月22日 - )は、千葉県東葛飾郡柏町(現:柏市)出身の元プロ野球選手。現在は野球解説者、YouTuber。左投左打、ポジションは一塁手、外野手。1987年に「柏市民特別功労賞」の最初の受賞者となった。現在は神奈川県在住。娘はアリゾナ・ダイヤモンドバックスのアシスタント・アスレティック・トレーナー兼マニュアル・セラピストの谷沢順子。 現役時代は中日ドラゴンズで17年間主軸打者として活躍し、引退後はフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者、サンケイスポーツ・毎日新聞野球評論家を歴任。1994年からは西武ライオンズの打撃コーチを歴任。現在はフジテレビ・東海テレビ・J SPORTS野球解説者、YouTuberとして活動している。
須藤 和彦(すどう かずひこ、1947年 - )は、千葉県出… 須藤 和彦(すどう かずひこ、1947年 - )は、千葉県出身の元アマチュア野球選手。ポジションは捕手。 習志野高校ではエース東条徹太(東芝)とバッテリーを組み、1965年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、銚子商の木樽正明に完封負け。銚子商は夏の甲子園で準優勝。高校同期に中堅手の谷沢健一、遊撃手の斎藤喜がいた。 1966年に日本大学に進学。東都大学野球リーグでは低迷が続き、1968年春季リーグにはチームが二部リーグに降格するが、1969年春季リーグに一部復帰を果たす。同年は同期のエース佐藤道郎の好投もあって春秋連続優勝を果たし、自身もベストナイン(捕手)に連続選出される。同年の全日本大学野球選手権決勝では、佐藤と東海大の上田二郎が互いに無失点で投げ合う。
山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、… 山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。右投左打。