スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森本 哲星(もりもと てっせい、2004年9月3日 - )は… 森本 哲星(もりもと てっせい、2004年9月3日 - )は、鳥取県西伯郡南部町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 小学校3年から双子の兄とともに野球を始める。6年から投手になり、高校は兄とともに千葉県の船橋市立船橋高等学校に進学。1年秋からベンチ入り。3年夏には甲子園に出場し、1回戦の興南高等学校との試合では、8回に同点二塁打を放つなど投打にわたって活躍し、初戦突破に貢献した。その後、U18W杯日本代表に選出された。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト9巡目指名を受けた。11月14日に支度金290万円、年俸360万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、… 望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代は、南流ファイターズでプレー。中学時代は、船橋市立八木が谷中学校の軟式野球部に所属。 市立船橋高校時代は、甲子園出場経験はない。 創価大学時代は、1年冬の健康診断にて蛋白尿と血尿が見つかったため、練習量を最低限にこなしていた。さらに、2年春には指定難病である「IgA腎症」を発症し、扁桃腺を摘出する手術を受けるなど実戦から遠ざかっていた。2年秋から試合に復帰したが、2年冬から3年春にかけては、ステロイド治療に専念した。 その後、3年春にリーグ最優秀防御率となると、同期の杉山晃基と小孫竜二らと共に強力な投手陣を形成した。
岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は… 岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 「嵜」の字は「崎」の異体字であるため、常用漢字体で統一している報道機関では「岩崎」とも表記される。 船橋市立高根小学校2年のとき「ホワイトビーストロング」で投手兼遊撃手として野球を始める。5年生で「宮本ビーバース」に、そして6年生で「海神スパローズ」に所属した。船橋市立高根中学校1年からは投手に専念。 船橋市立船橋高等学校では1年秋からベンチ入り。2年の夏は千葉大会準々決勝で千葉市立稲毛高等学校と対戦。2番手で登板も途中で降板し、チームも延長サヨナラ負け。
山崎 正貴(やまざき まさたか、1989年5月9日 - )は… 山崎 正貴(やまざき まさたか、1989年5月9日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 市立船橋高校では当初は内野手であり、1年秋には内野手としてベンチ入りしていたが、2年春に地肩の強さを活かして投手へ転向、最速147キロをマークし、岩嵜翔との2枚看板として活躍する。3年夏には背番号10番で第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。文星芸大附属高校戦では4番に座り先発のマウンドに上るも、佐藤祥万の前に0-5で初戦敗退。 秋に行われた2007年の高校生ドラフトでオリックス・バファローズから4巡目指名を受け入団。この際、チームメイトの岩嵜は外れ1巡目指名で福岡ソフトバンクホークスに入団している。
林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日 - )は、… 林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。妻は、テレビ東京出身のフリーアナウンサー・亀井京子。 小学生の時にハザマシーホークスで軟式野球をスタート。船橋市立七林中学校3年時には、4番打者兼エースとしてチームを千葉県総合体育大会2位に導いたほか、関東大会にも出場した。中学校への卒業後に、地元の船橋市立船橋高等学校へ進学。在学中には大型の左腕投手として、NPBにとどまらず、MLB球団のスカウトからも注目されていた。しかし、3年春の対外試合中に足を骨折してからはマウンドに上がれず、夏の選手権千葉大会では準決勝で後にプロでチームメイトとなる長田昌浩がいた東海大望洋高校に敗れ、3年続けて準決勝敗退を喫した。
福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は… 福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の時に本納パワーズで野球を始め、中学時代は市原シニアで野球を続ける。 市立船橋高校に入学後、1年生でレギュラーを掴み、2年時に夏の千葉県大会ベスト4、主将を務めた3年時にも夏の千葉県大会ベスト4で甲子園出場経験は無し。高校通算20本塁打。同期に林昌範、2学年下に大学でも後輩となる村田和哉がいる。 大学は東都大学野球の中央大学へ進学。入学と同時にメンバー入りを果たす。2004年秋リーグで初めて規定打席に到達。「五番・一塁」で8打点(リーグ4位)を挙げ、51季ぶり24回目のリーグ優勝に貢献した。
佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は… 佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は、社会人野球の選手(捕手)。
小笠原 孝(おがさわら たかし、1976年11月29日 - … 小笠原 孝(おがさわら たかし、1976年11月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。 船橋市立三咲小学校2年時より、「二和タイガース」で野球を始める。小林徹監督の指揮する市立船橋高へっ進み、1年秋には関東大会準々決勝で平尾博司らがいた大宮東高に完投勝利したが準決勝では白坂勝史 - 高橋光信のバッテリーを擁する横浜高に5回コールド負け。1993年、春の甲子園に出場し、2回戦敗退。夏の甲子園では初戦の三本松高戦で完封勝利するなど、市立船橋高をベスト4に導く活躍を見せたが準決勝で大村直之らを擁する育英高打線に打たれ、甲子園を去る。3年春の関東大会、夏の県大会ともにベスト4。
大野 和哉(おおの かずや、1971年9月16日 - )は、… 大野 和哉(おおの かずや、1971年9月16日 - )は、千葉県東葛飾郡沼南町(現:柏市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学5年で野球を始め、中学時代はオール沼南(中学硬式チーム)に所属し、ボーイズリーグの世界選手権にも出場。 市立船橋高時代は、1年秋の県大会決勝で1学年上の伏島良平とバッテリーを組み、市立銚子高の石毛博史と投げ合って勝利。2年次の1988年に春のセンバツでは初戦で1学年上の立石尚行の後を救援したが敗退。1989年に春の県大会で柏中央高を相手にノーヒットノーランを達成。夏の千葉県大会は5回戦で敗退。同年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに投手として入団。 1992年に外野手へ転向。
立石 尚行(たていし なおゆき、1970年5月14日 - )… 立石 尚行(たていし なおゆき、1970年5月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズ・ベースボールアカデミーのコーチ(野球教室講師)として活動している。 市立船橋高では同期の伏島良平(巨人)とバッテリーを組み、サイドスローのエースとして1988年春の選抜に出場。1回戦で倉吉東高に敗退。1年下のチームメートに中堅手の大野和哉がいた。 卒業後は社会人野球のNTT関東に入社。川崎製鉄千葉・新日本製鐵君津と共に『千葉3強』の一角を形成していたチームをエースとして支えた。チームメートにバッテリーを組んでいた小笠原道大(当時捕手)や、遊撃手の沖原佳典がいる。
伏島 良平(ふせじま りょうへい、1970年4月10日 - … 伏島 良平(ふせじま りょうへい、1970年4月10日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 千葉県の市立船橋高校では、立石尚行とバッテリーを組んで3年春にセンバツ出場。 専修大学への進学と言われるなか、1988年のドラフト外で巨人に入団。 一軍公式戦出場のないまま、内野手に転向した1996年限りで引退。 引退後は千葉商科大学でコーチを務める。