スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 亮太(なかむら りょうた、1998年5月18日 - )… 中村 亮太(なかむら りょうた、1998年5月18日 - )は、千葉県四街道市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 四街道市立和良比小学校時代から「桜木ライオンズ」で野球を始め、四街道市立四街道中学校では「千葉市リトルシニア」に所属。 高校は千葉市稲毛区の千葉経済大学附属高等学校に進学。2年夏の第97回全国高等学校野球選手権千葉大会では先発投手として登板した。3年夏の第98回全国高等学校野球選手権千葉大会では、当時140km/hを超えるストレートを武器に準決勝へ進出するが、早川隆久擁する木更津総合高等学校に5対6の逆転負けを喫し、甲子園出場はならなかった。 大学は東京農業大学北海道オホーツクに進学。
岡本 直也(おかもと なおや、1996年10月30日 - )… 岡本 直也(おかもと なおや、1996年10月30日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。NPBでは育成選手であった。 千葉市立千草台小学校3年生の時に野球を始め、千葉市立千草台中学校では平日は部活動でバドミントン部に所属し、土日は千葉東シニアで硬式野球をプレー。 千葉経済大学附属高等学校では2年秋の千葉県大会で準優勝し、関東大会に出場。3年夏の千葉県大会はベスト16だった。 高校卒業後は、東京農業大学生物産業学部(キャンパスは北海道網走市)へ進学。1年生の春から北海道学生野球リーグの公式戦に出場し通算12勝。3年春には最優秀防御率などの活躍。全国大会には全日本大学野球選手権大会に3度出場を果たす。
樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は… 樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は、北海道網走市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学生の時に地元の野球クラブで野球を始めた。 中学では始め網走市の中学校で軟式野球をしていたが、中学2年の冬に埼玉県の中学校に転校。東京・東練馬シニアで硬式野球をプレーした。 千葉経済大学附属高等学校では3年夏に5番・捕手で出場した第93回全国高等学校野球選手権千葉大会8強が最高で、甲子園への出場経験は無かった。当大会では打率.474を記録し、2011年7月24日に行われた準々決勝、対習志野高等学校戦において、2安打を放つも延長10回サヨナラ負けを喫する。
木南 了(きなみ りょう、1992年4月10日 - )は、東… 木南 了(きなみ りょう、1992年4月10日 - )は、東京都出身の元社会人野球選手(捕手)。右投右打。日本通運硬式野球部に所属していた。 中野区立江古田小学校時代に軟式野球を始め、中野区立北中野中学校では東京和泉シニアに所属。 千葉経済大学附属高校時代、正捕手としてチームを引っ張り、3年夏に2年ぶりの県ベスト8進出を達成した。 帝京大学時代は、1年時からリーグ戦に出場。2年春から正捕手、4年春からキャプテンを務め、2年秋、4年春の2度十傑入りの実績を残した。また、大学4年時リーグ選抜に選ばれオーストラリア遠征にも参加している。 大学卒業後は、日本通運に入社。1年目から公式戦に出場し、同年夏の都市対抗を予選1打席の出場で終え、秋の日本選手権で2大大会デビューを果たした。
齋藤 圭祐(さいとう けいすけ、1990年9月24日 - )… 齋藤 圭祐(さいとう けいすけ、1990年9月24日 - )は、千葉県夷隅郡大原町(現:いすみ市)出身の元プロ野球選手(投手)。 いすみ市立浪花小学校2年の時から地元の子供会でソフトボールを始め、小学5年の時に地元のソフトボールクラブ・大原マリーンズに入団。大原中では軟式野球部に入部し、3年時に千葉県ベスト8入り。 千葉経大附高に進学後は、2年春に一塁手兼投手として第79回選抜高等学校野球大会に出場。エースとなった3年時は春夏連続で甲子園に出場し、春の第80回選抜高等学校野球大会ではベスト4進出、夏の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では浦添商業高に9-12で2回戦敗退。甲子園後は高校日本選抜の一員としてブラジル遠征に参加した。
丸 佳浩(まる よしひろ、1989年4月11日 - )は、千… 丸 佳浩(まる よしひろ、1989年4月11日 - )は、千葉県勝浦市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 小学3年からソフトボールを始める。勝浦市立勝浦中学校時代は軟式野球で投手と遊撃手を兼任した。子供の頃は巨人ファン(父親が長嶋茂雄のファンでもあった)であり、東京ドームで見た川相昌弘の本塁打が印象に残ったという。 高校は千葉経済大学附属高等学校に進学。2年時の2006年夏に千葉大会を優勝。第88回夏の甲子園では、1回戦で八重山商工(沖縄)と対戦し、「3番・右翼手」で出場。延長戦で敗れたが、相手エースの大嶺祐太から安打を記録している。 その後は肩と精神面の強さを買われて投手に転向し、エースとしてチームを牽引。
井上 雄介(いのうえ ゆうすけ、1986年9月5日 - )は… 井上 雄介(いのうえ ゆうすけ、1986年9月5日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 千葉経大附属高校では、シニア時代からのチームメイトである松本啓二朗と左右の投手の二枚看板を形成し、打線の中軸を担った。3年夏に甲子園に出場。3回戦ではダルビッシュ有を擁する東北高校を下し、その後ベスト4まで勝ち上がった。 進学した青山学院大学では野手転向を考えていたが、大学側は投手として評価しており、転向せず投手として活躍した。同期に高島毅、久古健太郎がいる。文学部史学科に在籍し、卒業論文のテーマは「承久の乱」だった。東都大学リーグ通算39試合登板、8勝11敗、防御率2.61、159奪三振。
松本 啓二朗(まつもと けいじろう、1986年6月24日 -… 松本 啓二朗(まつもと けいじろう、1986年6月24日 - )は、千葉県大網白里市出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(外野手)。 小学4年時からリトルリーグの大宮ライオンズに所属すると、後に全国大会へ出場。中学1年時に所属した大宮シニアでも全国大会に出場した。 千葉経大付高校への進学後は当時監督だった実父・吉啓の下で、3年時は井上雄介との二枚看板、打者としても4番打者として活躍。夏の千葉大会を同校初の優勝に導き、第86回全国選手権に出場。3回戦ではダルビッシュ有擁する東北高校に延長戦で勝ち、その後ベスト4まで進出した。 早稲田大学への進学後に、当時の監督・應武篤良の勧めで外野手に転向すると、1年時の東京六大学野球秋季リーグ戦から正右翼手に定着した。
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千… 川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 稲毛中学校から「北千葉ポニー」に所属し、野球を始める。千葉経済大学附属高校を卒業後、八戸大学に進学、硬式野球部に所属。大学の同期には石川賢がいる。1年から登板して2年で同校初の大学選手権に出場。3年時は2回戦で先発勝利しベスト8。日米大学野球に出場したが、4年時は右肩痛を発症した。 2003年度ドラフト会議でヤクルトスワローズに自由獲得枠で入団。背番号はかつてスワローズのエースであった松岡弘や川崎憲次郎が背負った「17」となった。 2004年は中盤以降から防御率を向上させて先発の柱となり、終盤には5連勝で10勝を挙げ、防御率もリーグ3位の3.17を記録し新人王に選出された。
伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )… 伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は改姓して、長尾 一範(ながお かずのり)。 千葉経大附属高では野球部の同学年に山里亮太がいた。遠投100mの強肩に加えて高校通算45本塁打を記録した強打の外野手で、投手も兼任し、1年生の時からレギュラーだった。1995年のドラフトで広島東洋カープから4位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ4,000万円、450万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる。入団後に肩の強さを生かし捕手転向する。 2000年には1軍初出場を果たし、プロ初安打を本塁打で飾るなど長打力を発揮した。 2001年より内野手に転向したが、結果を残せず広島を退団。
田中 章(たなか あきら、1944年7月20日 - )は、千… 田中 章(たなか あきら、1944年7月20日 - )は、千葉県木更津市出身の元プロ野球選手(投手)。早稲田大学野球部・大昭和製紙硬式野球部・茨城県立水戸商業高等学校硬式野球部の監督を歴任した石井藤吉郎(野球殿堂競技者表彰者の1人)の親戚に当たる。 千葉経済高等学校1年時(1960年)に登板した秋季千葉県大会準々決勝で、銚子市立銚子高等学校打線を相手にノーヒットノーランを達成。決勝では千葉県立銚子商業高等学校に敗れたものの、「好投手」として注目される。2年時(1961年)から全国高等学校野球選手権千葉大会で2年続けて準々決勝に進出したが、2年時には成田高等学校、3年時(1962年)には習志野市立習志野高等学校の後塵を拝した。