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大木 貴将(おおき たかまさ、1991年11月22日 - )… 大木 貴将(おおき たかまさ、1991年11月22日 - )は、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 拓殖大学紅陵高等学校では3年生の夏の第91回選手権大会・千葉大会での準優勝が最高成績で、全国大会出場経験はない。1歳下の後輩に加藤貴之がいる。 高校卒業後は日本大学に進学し、硬式野球部に入部したが、2年時に当時の監督と折り合わなかったことを理由に退部し大学も中退した。 1年のブランクを経て、2012年12月9日に行われた四国アイランドリーグplusの2013年度ドラフト会議により香川オリーブガイナーズに入団した。 2013年には32試合に出場し、打率.200、2打点だった。。 2014年は主に外野手として公式戦に出場し、シーズン終盤は1番・中堅手に定着した。
手嶌 智(てじま さとし、1982年6月16日 - )は、千… 手嶌 智(てじま さとし、1982年6月16日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 拓大紅陵高では2年秋の県大会優勝も関東大会は初戦となる準々決勝で敗退。社会人野球の新日本石油では都市対抗野球に補強を含めて2回出場、2004年のドラフト自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団。 最速140km/h後半のストレートに加え、スライダー・チェンジアップ・フォークなどを投げる。 2005年はファームで最多勝(10勝)を上げたが、やや制球・変化球に難があり、6月22日に一軍で初登板・初先発した際も甘く入ったチェンジアップを小笠原道大にレフトスタンドに運ばれるなどでノックアウトされている。
和田 貴範(わだ たかのり、1981年2月12日 - )は、… 和田 貴範(わだ たかのり、1981年2月12日 - )は、千葉県出身の元社会人野球選手(内野手)。 拓大紅陵高から明大に進む。いわゆる松坂世代(1980年4月 - 1981年3月生まれ)である。2002年春シーズンはリーグ打率2位の好成績を挙げ、ベストナイン(三塁手部門)を受賞。リーグ通算92試合出場、298打数79安打、打率.265、2本塁打、22打点。 2003年に新日鐵君津から衣替えしたかずさマジックに入部(所属は日東交通)。かずさ1期生となる。その年チームは2大大会(都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会)に出場を果たすが、ほとんど出場機会がないまま初年度を終える。2年目からチームは2大大会の出場を逃し続けるが、和田はサードのレギュラーを獲得し、2004年・2005年にはホンダ、2006年にはJFE東日本の補強選手として3年連続で都市対抗でチームの上位進出に貢献。
立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は… 立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者、千葉ロッテマリーンズ「マリーンズ・スポーツカレッジ」名誉学長、元キックボクサー。 千葉県千葉市(現在の美浜区)に生まれる。大手レコード会社の社員で野球経験のある父親のもとで幼少時より野球に親しみ、小学校時代より父親の転勤により宮城県塩竈市に転居する。 宮城県塩竈市に転居後に硬式野球チームに入る。その後中学校の野球部に入ろうとするが、坊主になるのがイヤでバスケット部に入る。バスケット部では立川の活躍により、塩竈市第三中学校3年生に塩竈市の中体連を優勝に導く。さらに同年にはリトルシニアAA世界野球選手権大会に投手として出場し優勝を飾る。
多田 昌弘(ただ まさひろ、1974年10月22日 - )は… 多田 昌弘(ただ まさひろ、1974年10月22日 - )は、千葉県市原市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は阪神タイガースの打撃投手。 小学2年で野球を始め、中学では2年の夏休みにグラウンドを50周走る日課をこなすうちに球速が上がっていった。拓大紅陵高のセレクションで不合格となるが一般入試に合格。1年後輩に立川隆史(のち千葉ロッテマリーンズ - 阪神タイガース)がいた。1992年、3年の第74回全国高等学校野球選手権大会にはエース富樫、杉本、紺野、多田の4人で投手陣を組み準優勝。初戦から準決勝まで全て別の投手が勝ち投手になるという史上初の快挙を記録した。投手陣の中でスカウトの評価が最も高かったのは多田だった。
小林 敦司(こばやし あつし、1972年12月8日 - )は… 小林 敦司(こばやし あつし、1972年12月8日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(投手)野球指導者、パティシエ。2001年の登録名は小林 渥司(読み同じ)。 中学時代は板橋シニアに所属。2年生エースに隠れてライトで8番であった。拓大紅陵高時代は控え投手であったが、1990年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受けて入団。 入団当初は本人によればストレートは速いとは言えず、コントロールも悪かったと言う。 1992年、右肘を痛める。 1993年シーズンにサイドスローへ転向。本人によると戦力外通告をこの時点で意識しており、巨人で活躍していた斎藤雅樹を真似てサイドスローで投げることにしたという。
知野 公昭(ちの きみあき、1971年10月14日 - )は… 知野 公昭(ちの きみあき、1971年10月14日 - )は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現:袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 拓大紅陵高3年次に、千葉県予選決勝まで進出するが、押尾健一擁する成東高に0-1で敗退した。高校3年間で47試合に登板し、28勝6敗、防御率0.84という記録を残した。 1989年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位で指名を受けて入団。契約金3000万円・年俸360万円(金額は推定)と決まった。 140km/h後半のストレートが武器だったが、一軍登板までは至らずにサイドスローに転向するなどしたが、結局一軍登板のないまま1994年限りで現役を引退した。
高橋 憲幸(たかはし のりゆき、1971年2月25日 - )… 高橋 憲幸(たかはし のりゆき、1971年2月25日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 拓大紅陵高では和田孝志と投の二本柱を組み活躍。和田の故障もあって1988年夏の甲子園にはエースとして出場。2回戦(初戦)で松山商を降すが、3回戦で浜松商に惜敗。 卒業後は日本石油に入社。1991年の日本選手権では2試合に先発して優勝に貢献し、優秀選手。1995年の都市対抗では春田政勝とともに投の主軸として勝ち進む。NKKとの決勝では勝利投手となり優勝に大きく貢献、同大会の橋戸賞を受賞した。1996年のドラフト5位で日本ハムファイターズに入団。 1年目の1997年から変則フォームから繰り出すスクリューボールを武器に中継ぎ投手として活躍し、47試合に登板(この年4月22日にプロ初勝利を挙げたがこの試合から三連続でチームはサヨナラ勝ちをし高橋もその間に2勝挙げた)。
鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )… 鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元社会人野球の選手(内野手)・監督。 中学時代は学校の軟式野球部に所属。 拓大紅陵高では1986年と1988年の2度、夏の甲子園への出場経験を有する。同期のプロ選手に高橋憲幸と和田孝志がいる。 高校卒業後は、法政大学へ進学し野球部に入部する。4番打者として田淵幸一・小早川毅彦に次ぐ通算11本塁打を記録し、1992年春季リーグ戦においてはシーズン記録の10二塁打を記録。これは未だに破られていない。2年後輩の稲葉篤紀と共にクリーンアップを組み、全日本大学野球選手権に出場した。同期生には青山正克がいる。 大学卒業後は新日本製鐵に入社、君津野球部に所属。
和田 孝志(わだ たかし、1970年10月7日 - )は、埼… 和田 孝志(わだ たかし、1970年10月7日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)。 越谷シニアから進んだ拓大紅陵高では高橋憲幸と投の二本柱を組み活躍するが、肩の故障もあって3年生時には控えに回る。1988年夏の甲子園には一塁手として出場。2回戦(初戦)で松山商を降すが、3回戦で浜松商に惜敗。高校の2学年先輩に飯田哲也と佐藤幸彦がおり、佐藤とはプロで再びチームメイトとなる。 東洋大に進学。東都大学野球リーグでは、2年時の1990年春季リーグで優勝した亜大の4年生エース小池秀郎と投げ合い、リーグ10人目のノーヒットノーランを達成する。翌1991年春季リーグでは同季リーグMVPの1年銭場一浩とともに投手陣の中軸となり優勝に貢献。
佐藤 幸彦(さとう ゆきひこ、1968年4月16日 - )は… 佐藤 幸彦(さとう ゆきひこ、1968年4月16日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学生時代はテニスの選手であり、海外へテニス留学をした経験を持つ。拓大紅陵高では飯田哲也と同級生。2学年先輩には小川博文が、2学年後輩には和田孝志と高橋憲幸がいた(和田とは後にプロでもチームメイトとなる)。1986年は春夏連続で甲子園に出場。 1986年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受け入団。 高卒1年目の1987年に一軍デビューを果たし、イースタン・リーグでも打率.303、11本塁打と結果を残した。1989年には一軍初安打を放った。当初は三塁手で初芝清とポジション争いをしていたが、1992年に初芝がレギュラー三塁手になると左翼手、指名打者として起用されるようになった。
小川 博文(おがわ ひろふみ、1967年3月6日 - )は、… 小川 博文(おがわ ひろふみ、1967年3月6日 - )は、千葉県館山市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者。野球解説者。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。 現在は社会人野球チーム・サムティ硬式野球部の監督を務める。 中学生までは館山市で軟式野球をしており、1982年に当時の顧問の勧めで創立5年目の拓大紅陵高に進学(2学年後輩には飯田哲也と佐藤幸彦がいた)。当初は硬式野球経験のあるシニアリーグ出身者に遅れを取ったが、監督小枝守の下で厳しい練習に取り組み二塁手として成長。2年夏にはレギュラーの1番打者となり、秋からは3番打者を務めるようになった。同年秋の関東大会では大島公一らを擁する法政二高と準々決勝で対戦し、サヨナラタイムリーを放ち、ベスト4に進み、同校初の全国大会となる第56回選抜大会への出場を決めている。